2014年08月06日
メルギー諸島という神の贈り物
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイに。そこから船でメルギー諸島を南下していく。
※ ※
こんな海だとは知らなかった。メルギー諸島という名前は知っていた。しかしそれは自給自足に近い海洋民族が暮らす島というものでしかなかった。しかしこれほどきれいな海だったとは……。
朝の4時半近くに出航した船は、8時過ぎにメルギーの港に着いた。アジアらしい賑やかな港だった。船着き場には100人を超えるミャンマー人が待っていた。この船は12時間近く走るのだが、メルギー諸島ではバスのような役割を担っていることを知ることになる。
船は再び南下を開始した。太陽が高くなりはじめ、海の色が変わっていった。ややくすんだ藍色の中から、刻々と黒い色素が抜けていく。気がつくと、船は翡翠色の海を南に、南にと進んでいた。
はじめ1階にいたのだが、2階の甲板ですごす時間が多くなった。甲板にはベンチひとつないのだが、輝く海を目にしてしまうと、しばらくぼーッとしてしまうのだ。ここまで汚れがない海に、ときに気が遠くなる。
メルギー諸島には大小200ほどの島があるというのだが、船から眺めると、その数はもっと多いような気になってくる。船は小島の間を縫うように進んでいく。海は穏やかで、揺れもほとんどない。
ときおり船が減速する。見ると島から小船が弱いエンジンを残しながら近づいてくる。そして翡翠色の海の上で、2隻の船は縁がぶつかるほどに接近する。そこを僕らの船から何人かの乗客が乗り移っていくのだ。そして小船は、数人の客を乗せて、近くの島に向かってゆっくりと進んでいく。
その色を眺めているだけで満たされるものがあった。
ミャンマーという国は、長く、海外との接点が少なかった。海外からの資本も、この国にはなかなか届かなかった。それは政府が意図したことで、その結果、ミャンマーという国は、大きく遅れていく。だが、それがメルギー諸島を守ってもくれた。これはミャンマーに限ったことではないが。
もし早くからミャンマーが、海外からの資本を受け入れていたら、メルギー諸島は世界一流のリゾートになっていただろう。
しかしいまのメルギー諸島は静かで美しかった。
東南アジアのローカル国境を越えてまわる旅は、終点に近づいていた。いろいろなことがあった。ミャンマーではバスの横転事故に遭い、相変わらず背中は痛かった。しかし旅の終わりに、神は笑ってくれた気がした。海は静かで、振動はほとんどない。バスに乗っていたら、背中の痛さで油汗を出していたのかもしれないが、船は快適だった。そして翡翠色の海は、贈り物だった。
午後2時をまわり、少しずつ漁船を目にするようになった。やがて午後4時過ぎ、船はコータウンの港に着いた。
「ダウェイからやってきた外国人はめったにいない」
ミャンマーのイミグレーションの職員にいわれた。コータウンから小船に乗り、タイのラノーンに向かう。このポイントが、旅の最後の国境になる。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイに。そこから船でメルギー諸島を南下していく。
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こんな海だとは知らなかった。メルギー諸島という名前は知っていた。しかしそれは自給自足に近い海洋民族が暮らす島というものでしかなかった。しかしこれほどきれいな海だったとは……。
朝の4時半近くに出航した船は、8時過ぎにメルギーの港に着いた。アジアらしい賑やかな港だった。船着き場には100人を超えるミャンマー人が待っていた。この船は12時間近く走るのだが、メルギー諸島ではバスのような役割を担っていることを知ることになる。
船は再び南下を開始した。太陽が高くなりはじめ、海の色が変わっていった。ややくすんだ藍色の中から、刻々と黒い色素が抜けていく。気がつくと、船は翡翠色の海を南に、南にと進んでいた。
はじめ1階にいたのだが、2階の甲板ですごす時間が多くなった。甲板にはベンチひとつないのだが、輝く海を目にしてしまうと、しばらくぼーッとしてしまうのだ。ここまで汚れがない海に、ときに気が遠くなる。
メルギー諸島には大小200ほどの島があるというのだが、船から眺めると、その数はもっと多いような気になってくる。船は小島の間を縫うように進んでいく。海は穏やかで、揺れもほとんどない。
ときおり船が減速する。見ると島から小船が弱いエンジンを残しながら近づいてくる。そして翡翠色の海の上で、2隻の船は縁がぶつかるほどに接近する。そこを僕らの船から何人かの乗客が乗り移っていくのだ。そして小船は、数人の客を乗せて、近くの島に向かってゆっくりと進んでいく。
その色を眺めているだけで満たされるものがあった。
ミャンマーという国は、長く、海外との接点が少なかった。海外からの資本も、この国にはなかなか届かなかった。それは政府が意図したことで、その結果、ミャンマーという国は、大きく遅れていく。だが、それがメルギー諸島を守ってもくれた。これはミャンマーに限ったことではないが。
もし早くからミャンマーが、海外からの資本を受け入れていたら、メルギー諸島は世界一流のリゾートになっていただろう。
しかしいまのメルギー諸島は静かで美しかった。
東南アジアのローカル国境を越えてまわる旅は、終点に近づいていた。いろいろなことがあった。ミャンマーではバスの横転事故に遭い、相変わらず背中は痛かった。しかし旅の終わりに、神は笑ってくれた気がした。海は静かで、振動はほとんどない。バスに乗っていたら、背中の痛さで油汗を出していたのかもしれないが、船は快適だった。そして翡翠色の海は、贈り物だった。
午後2時をまわり、少しずつ漁船を目にするようになった。やがて午後4時過ぎ、船はコータウンの港に着いた。
「ダウェイからやってきた外国人はめったにいない」
ミャンマーのイミグレーションの職員にいわれた。コータウンから小船に乗り、タイのラノーンに向かう。このポイントが、旅の最後の国境になる。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 12:13│Comments(0)
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