2014年09月29日
カンボジアで呟く「風立ちぬ」
先週はカンボジアにいた。メコン川に沿った小さな村である。プノンペンからは車で2時間ほどかかる。
最近、この村の近くに工業団地ができた。メコン川に橋が架かり、道が整備された。工事はすべて中国が行ったという。
それまで村の若者たちは、高校を出るとプノンペンに働きに出ることが多かった。しかしいまでは、村近くの工業団地にできた縫製工場で働くようになった。高校を卒業したばかりの若者でも、100ドルの月給がもらえるという。僕を案内してくれた若者は、工場で働きはじめて2年ほどだったが、月給は400ドル近くになっていた。それまで、一家を支える主人の収入が200ドルから300ドルといった村は、突然の好景気に浮き足だちはじめていた。
村の若者は素朴である。工場で得た収入は全額、家に入れる子が多いという。カンボジアは若者の人口が多い国だ。高度成長の実感が村を包みはじめていた。
村を歩き、工場を案内してもらった。夕方になった。汲みあげたメコン川の水を貯めた瓶の脇で水を浴び、高床式の家の木の床に寝転がる。鞄に入れてあったkindleのスイッチをいれた。文字を読むことだけに特化した、ペーパーホワイトと呼ばれる機種である。
今年60歳になった。還暦である。家族がkindleをプレゼントしてくれた。
この端末をほかの人がどう使っているのかは知らない。僕は「無料本」という何冊かをダウンロードした。著作権が切れた古い本である。昔、読んだのかどうか……記憶もおぼろげ本を選んだ。そのなかの一冊が堀辰雄の『風立ちぬ』だった。ちょうどそのとき、この本を読んでいた。
結核に冒され、八ヶ岳山麓の療養所に入った女性を見守る青年の物語だ。死の影と寄り添うように暮らすふたりの生活は静謐で、もの静かに進んでいく。
強い日射しのなか、エネルギーが弾けるようなカンボジアの若者とつきあった一日が終わり、『風立ちぬ』の文章の世界に戻ると、なぜかほっとした。慈しむように命とつきあう日本人の姿はいとおしくもあった。
30代の頃からアジアを描き続けてきた。それはどこか、アジアの人々が発散するエネルギーに支えられてきたようなところがあった気がする。勢いを失った日本人との相対はおのずと文章ににじみ出ていただろう。当時の僕はまだ若く、死の影など昇華させてしまうようなエネルギーもあった。
しかし60歳である。カンボジアの高床式の家のなかで、日本人が内包する死との穏やかなつきあいの文章を読み進めながら、どこか安堵してしまう自分がいた。
これからも旅は続くだろう。しかしそのなかに忍び寄る影が見えるようになったのかもしれない。
一陣の風が吹き、視線をあげた。カンボジアの村は、間もなく、スコールに洗われるのかもしれない。
風立ちぬ いざ生きめやも
そんな『風立ちぬ』の文章を、呟いてもみる。
最近、この村の近くに工業団地ができた。メコン川に橋が架かり、道が整備された。工事はすべて中国が行ったという。
それまで村の若者たちは、高校を出るとプノンペンに働きに出ることが多かった。しかしいまでは、村近くの工業団地にできた縫製工場で働くようになった。高校を卒業したばかりの若者でも、100ドルの月給がもらえるという。僕を案内してくれた若者は、工場で働きはじめて2年ほどだったが、月給は400ドル近くになっていた。それまで、一家を支える主人の収入が200ドルから300ドルといった村は、突然の好景気に浮き足だちはじめていた。
村の若者は素朴である。工場で得た収入は全額、家に入れる子が多いという。カンボジアは若者の人口が多い国だ。高度成長の実感が村を包みはじめていた。
村を歩き、工場を案内してもらった。夕方になった。汲みあげたメコン川の水を貯めた瓶の脇で水を浴び、高床式の家の木の床に寝転がる。鞄に入れてあったkindleのスイッチをいれた。文字を読むことだけに特化した、ペーパーホワイトと呼ばれる機種である。
今年60歳になった。還暦である。家族がkindleをプレゼントしてくれた。
この端末をほかの人がどう使っているのかは知らない。僕は「無料本」という何冊かをダウンロードした。著作権が切れた古い本である。昔、読んだのかどうか……記憶もおぼろげ本を選んだ。そのなかの一冊が堀辰雄の『風立ちぬ』だった。ちょうどそのとき、この本を読んでいた。
結核に冒され、八ヶ岳山麓の療養所に入った女性を見守る青年の物語だ。死の影と寄り添うように暮らすふたりの生活は静謐で、もの静かに進んでいく。
強い日射しのなか、エネルギーが弾けるようなカンボジアの若者とつきあった一日が終わり、『風立ちぬ』の文章の世界に戻ると、なぜかほっとした。慈しむように命とつきあう日本人の姿はいとおしくもあった。
30代の頃からアジアを描き続けてきた。それはどこか、アジアの人々が発散するエネルギーに支えられてきたようなところがあった気がする。勢いを失った日本人との相対はおのずと文章ににじみ出ていただろう。当時の僕はまだ若く、死の影など昇華させてしまうようなエネルギーもあった。
しかし60歳である。カンボジアの高床式の家のなかで、日本人が内包する死との穏やかなつきあいの文章を読み進めながら、どこか安堵してしまう自分がいた。
これからも旅は続くだろう。しかしそのなかに忍び寄る影が見えるようになったのかもしれない。
一陣の風が吹き、視線をあげた。カンボジアの村は、間もなく、スコールに洗われるのかもしれない。
風立ちぬ いざ生きめやも
そんな『風立ちぬ』の文章を、呟いてもみる。
Posted by 下川裕治 at 11:43│Comments(2)
この記事へのコメント
昨日チョンキンマンションのエレベーターにて下川さんを拝見しました。声をかけられなかったのですが、パックパックに免費の新聞を小脇に抱えている姿は、まさしく想像していた通りの下川裕治で嬉しくなりました。香港の本も期待して待っています。
Posted by 山下 at 2014年10月04日 12:45
「風立ちぬ」を、カンボジアで読んでいるというあなたを懐かしく思い浮かべています。
昨年末に28回目の引っ越しをしました。次の住所はあの世になるはずです。
昨年末に28回目の引っ越しをしました。次の住所はあの世になるはずです。
Posted by 家田順一郎 at 2014年10月17日 15:43
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