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ナムジャイブログ

2014年12月08日

四万十川の寝酒

 寝酒というものがある。ナイトキャップなどともいわれる。これが昔から苦手だった。酒に抵抗があるという意味ではない。寝酒がだめなのだ。
 因果な仕事だとは思うが、僕は自宅にいると、寝る直前まで原稿を書いていることが多い。そしてその仕事に、完了というものがない。もちろん、書き終える瞬間はある。短い原稿でも、1冊の本でも終わりがくる。
 ひと仕事を終えた、という若干の達成感はある。眠る前である。そんなときに酒に手を伸ばしたとする。
 するともういけない。「あそこは、こう直したほうがいいかもしれない」、「ずいぶんわかりにくい原稿を書いたのではないか」などと、直前まで書いていた内容が、頭のなかをぐるぐるとまわりはじめ、収拾がつかなくなってしまう。
 ときには再び原稿に向かい直してしまうことすらある。眠るどころの話ではなくなってしまうのだ。
 1日の仕事が終わった達成感のなかで、静かに酒を飲むことができる人が羨ましくてしかたない。そういうめりはりのある1日を送りたいといつも思う。
 僕の仕事は、頭のなかをいつも、原稿というものが支配してる。終わりというものがない。あえていえば、時間切れ。諦めることが終わりである。
 だから旅に出る?
 僕は基本的に旅先では原稿を書かない。
 昨夜、四国から東京に帰ってきた。ローカル線に乗り、駅前旅館に泊まる旅を続けている。一昨日の晩は江川崎という町にいた。四万十川沿いの小さな町。そこにある駅前旅館に泊まっていた。
 駅前旅館のよさは気楽さである。夕食の後に、外で買った酒を部屋で飲んでもなにもいわれない。宿によっては、氷やお湯、コップまでもってきてくれる。駅前旅館は下宿のような宿だからだ。
 昨夜は気心の知れたカメラマンと焼酎のお湯割りを飲んでいた。寒波に襲われた四国は雪景色である。ぼんやり眺めながら、お湯割りを飲む。酔いがまわってきたら、このまま寝てしまえばいい。旅先の部屋には原稿はないのだ。
 これが寝酒というものかもしれない……と思った。仕事をする家では、寝酒が飲めないが、旅先でしっかり寝酒を飲んでいる。こうして僕は心の均衡を保っているのかもしれない。だから旅なのだろうか。
 家で寝酒を飲むことができる人は、きっと旅など出なくてもいいのかもしれない。寝酒を飲みながら心の旅に出ているのだ。
 つまりはそういうことなのだろうか。
 いや、原稿を書くという仕事がいけない。きっとそうに違いない。


Posted by 下川裕治 at 14:15│Comments(0)
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