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ナムジャイブログ

2015年01月05日

老人介護という人生を慈しむセンス

 これで3人目か。
 昨年の暮れ、知人から連絡を受けた。これまでの仕事を辞め、老人介護の仕事に就くという。一昨年から昨年にかけ、僕の周りの人が、次々に老人介護の世界に入っていった。
 皆、若くない。いちばんの高齢者は60代の前半である。3人とも仕事をもっていた。僕の知人だから、カメラマンやデザイナー、編集者である。
 仕事がうまくいっていなかったわけではない。皆、忙しく働いていた。詳しいことはわからないが、それなりの収入があったはずである。
 その人たちが突然、介護の仕事に就くという連絡をしてくる。なにか遠くへ行ってしまうような寂しさを覚えてしまう。
 労働移動支援助成金というものがある。再就職を支援する助成金である。この制度に詳しいわけではないが、知り合いのひとりが、この制度で介護福祉士になる専門学校に通っていた。資格をとることができる上に、生活費も助成してもらえる。彼はこう実態を説明してくれた。
「ほとんどの人が介護の仕事には就かないんですよ。目当ては助成金。働かなくても、学校に通っていれば、生活費がもらえるんですから。なかには、介護の仕事を考えている人もいるかもしれないけど、研修で介護の現場を体験してしまうと、もうダメ。仕事がきついことがわかっちゃうんです」
 政府にしたら、高齢化社会と就職口のない中高年を結びつけたのだろうが、実際はそんなものらしい。
 介護の仕事にしても、評判は芳しくない。腰を痛める。給料が安い。そんな話が耳に届く。
 それなりの収入のあった仕事を辞め、介護に身を投じた知人3人は、おそらくそんな実態をわかっている。しかし、いや、だからこそ介護の仕事なのかもしれない。そこには、介護の仕事はつらい……と口にする人とはまったく別の文脈が流れている。就職ではない人生の選択である。
 僕は原稿を書くことを生業にしている。それは一見、文化的な仕事に映るかもしれないが、内実は、いかに売れる本を書くか……ということに収斂されていく傾向すらある。いや、そんなことを考える余裕もなく、日々、原稿に追われているだけなのだ。
 知人3人は、きっぱりとその仕事を辞め、老人介護の世界に入っていった。その潔さのなかに、人生を慈しむセンスすら感じてしまう。若いときはそれなりに働き、ある年齢に達したら、すぱっと介護の道に進む発想は、羨ましくもある。
 僕にはその勇気がない。雑駁な世界のなかで右往左往している。冷え込む東京の夜、自分の矮小さが浮きたってしかたない。


Posted by 下川裕治 at 10:15│Comments(0)
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