2015年01月13日
宗教という残酷なもの
来週、バングラデシュに行く。南端に近いコックスバザールという街に滞在することになる。ラカイン族という少数の仏教徒の拠点の街である。ここで小学校の運営にかかわっている。日本での寄付に頼っているのだが、現地にはさまざまな要求が渦巻いている。いまから気が重い。
ひとりの日本人女性が同行する。彼女はラカイン族の女性の学費を援助していた。女学生は優秀で、医師になる学校に合格した。ついにラカイン族から医師が誕生する。少数民族にとって、それは大変なことだった。
ところが昨年の夏ぐらいから、連絡がとれないという。先日、コックスバザールの知人に訊いてみた。知人は女学生の母親からある事実を知らされた。女学生は結婚したのだ。
結婚が問題ではなかった。悩んでしまったのは、その相手だった。イスラム教徒の男性だったのだ。女学生は家との連絡を絶っていた。母親は携帯電話の番号もわからないといったという。
バングラデシュはイスラム教徒が大多数を占める国である。仏教徒は少数である。
仏教徒たちは、さまざまな場面でイスラム教徒と衝突してきた。過激なイスラム教徒によって、寺が焼かれたこともある。宗教対立は、ときに憎しみの連鎖さえ生んでいた。
しかし少数仏教徒の社会のなかにいては、バングラデシュではなにもすることができない。大学レベルの教育となると、イスラム社会に入っていくしかない。
女学生もそうだった。医師をめざす大学に通うのは、イスラム教徒の学生である。そのなかで恋愛感情が生まれても不思議はない。
しかし宗教は残酷でもある。
イスラム教は、異教徒との婚姻を禁じている。つまり女学生はイスラム教に改宗しなければ結婚することはできない。
家族との縁を切らなくてはならなかった。娘がイスラム教徒と結婚した家は、仏教徒の社会から村八分の状態に置かれる。
仏教徒であるアラカン族が硬直的なわけではない。しかしそうしなければ、自分たちの社会を守れないという現実がある。仏教圏の最西端に暮らす仏教徒なのだ。常にイスラム社会と対峙してきた。
「僕ら日本人は、女学生が改宗しても会うことができる。でも、ラカイン族にはできることじゃないから……」
日本という国にいると、宗教というものがぼやけてくる。平和ぼけという言葉は、そのまま宗教にも当てはまるような気にもなってくる。
果たして女学生と会うことができるのかどうか……わからない。善意と宗教が、バングラデシュに着く前に交錯している。
ひとりの日本人女性が同行する。彼女はラカイン族の女性の学費を援助していた。女学生は優秀で、医師になる学校に合格した。ついにラカイン族から医師が誕生する。少数民族にとって、それは大変なことだった。
ところが昨年の夏ぐらいから、連絡がとれないという。先日、コックスバザールの知人に訊いてみた。知人は女学生の母親からある事実を知らされた。女学生は結婚したのだ。
結婚が問題ではなかった。悩んでしまったのは、その相手だった。イスラム教徒の男性だったのだ。女学生は家との連絡を絶っていた。母親は携帯電話の番号もわからないといったという。
バングラデシュはイスラム教徒が大多数を占める国である。仏教徒は少数である。
仏教徒たちは、さまざまな場面でイスラム教徒と衝突してきた。過激なイスラム教徒によって、寺が焼かれたこともある。宗教対立は、ときに憎しみの連鎖さえ生んでいた。
しかし少数仏教徒の社会のなかにいては、バングラデシュではなにもすることができない。大学レベルの教育となると、イスラム社会に入っていくしかない。
女学生もそうだった。医師をめざす大学に通うのは、イスラム教徒の学生である。そのなかで恋愛感情が生まれても不思議はない。
しかし宗教は残酷でもある。
イスラム教は、異教徒との婚姻を禁じている。つまり女学生はイスラム教に改宗しなければ結婚することはできない。
家族との縁を切らなくてはならなかった。娘がイスラム教徒と結婚した家は、仏教徒の社会から村八分の状態に置かれる。
仏教徒であるアラカン族が硬直的なわけではない。しかしそうしなければ、自分たちの社会を守れないという現実がある。仏教圏の最西端に暮らす仏教徒なのだ。常にイスラム社会と対峙してきた。
「僕ら日本人は、女学生が改宗しても会うことができる。でも、ラカイン族にはできることじゃないから……」
日本という国にいると、宗教というものがぼやけてくる。平和ぼけという言葉は、そのまま宗教にも当てはまるような気にもなってくる。
果たして女学生と会うことができるのかどうか……わからない。善意と宗教が、バングラデシュに着く前に交錯している。
Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(0)
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