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ナムジャイブログ

2015年02月16日

あまりに静かな統一展望台

 久しぶりの国境だった。27年ぶり……というと、やはり考えてしまう。
 先週、韓国にいた。東海岸の江陵。ここまで来れば、統一展望台まで行ってみたくなった。朝鮮戦争の後、韓国と北朝鮮の間に軍事停戦ラインが引かれた。北緯38度線だ。しかし東海岸では、そこより50キロほど北側にその線が引かれていた。韓国側の北端にあるのが、統一展望台だった。北朝鮮との国境線を眺める展望台。韓国の最北端でもある。
 27年前、この展望台には、多くの韓国人がやってきていた。北朝鮮の眺め。それは彼らにとっては大きな関心だった。
 当時、江陵の北にある束草の街から、展望台に向かうバスが頻繁に出ていた。非武装ラインの手前、2キロほどのところでいったんバスを降ろされた。名前を書き込み、1時間ほどのビデオを観なければならなかった。
 クラブで遊ぶ若者やデモに参加する学生が映しだされ、その間にも、北朝鮮は非武装地帯に地下トンネルを掘っている……という内容だった。最後は、「統一」、「統一」という韓国語を叫ばなければいけなかった。韓国政府にしたら、自国を守る意識を鼓吹したかったのだろう。
 それから27年……。その間に、北朝鮮も大きく変わった。なにしろ、当時はまだ、金日成が生きていた。その後、息子の金正日が指導者になり、いまはその息子の金正恩がその後を継いだ。
 韓国も変わった。
 僕は束草の観光案内所で、教えてくれた路線バスに乗った。1時間半ほどで終点に着いたのだが、その先まで行くバスはなかった。統一展望台まで10キロほどの距離があるという。そこまで行く韓国人は、ほとんどいなくなっていたのだ。路線バスの運転手がタクシーを呼んでくれた。
 展望台の手前で韓国軍の検問があった。徴兵制で駆り出された兵士が警備していたのだが、緊張感はまるでなかった。若い兵士たちは冗談をいいあっている。
 展望台も閑散としていた。眼下には非武装地帯が広がっていたが、そこには道路と鉄道が敷かれていた。いまはぎくしゃくとしているが、一時は韓国の工業団地が北朝鮮にあったのだ。
 氷点下の風に吹かれながら、27年という年月の長さを教えられた。展望台の売店には、北朝鮮の物産や紙幣が売られていた。
 日本にいると、拉致問題やミサイルの話ばかりが浮きたってしまうのだが、韓国人たちは、また別の文脈で北朝鮮をとらえていた。
 大義に縛られるふたつの国だが、そこに暮らす人々の意識は変わりつつある。少なくとも、韓国人の非武装ラインへの関心は薄れ、風化してきている。本来ならそこから新しいベクトルが生まれるのだろうが、その気配は、若い韓国人からは感じられない。政治の時代が色褪せるということなのだろうか。
 統一展望台はあまりに静かだった。



Posted by 下川裕治 at 19:51│Comments(0)
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