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ナムジャイブログ

2015年03月09日

たくあんをめぐる冒険

 ソウルにきている。僕はいま、年に2回のペースで週末シリーズの本を書いている。バンコク、台湾、ベトナム、沖縄、香港・マカオに続くのがソウルである。
 ソウルの話を書くとき、どうしても日韓問題がかかわってきてしまう。今年は戦争が終わって70年にあたる。それに関連した何冊もの本が出るのだという。
 しかし僕にとってのソウルは、また別の文脈のなかにいる。たとえば、たくあん。ソウルで食事をしていて、いつも思うのだが、韓国の人たちはたくあんが大好きだ。安いうどんを頼むと、その横の小皿に、2~3枚のたくあんが出てくる。
 じつは台湾の人もたくあんが好きだ。日本式のカレーライスを食べると、たくあんが一緒に出てくることが多い。
 それに比べると、日本でのたくあんの存在感が薄い。最近食べた記憶がほとんどない気がする。家の食卓にものぼらないし、外で食事をしても、たくあんの姿を見ることはまずない。
 日本人がとりたて、たくあんを嫌っているわけではないと思うが、なぜか消えつつあるのだ。
 しかし韓国のたくあんを辿っていくと、植民地時代に戻っていってしまう。韓国にはこんな言葉もあるという。
「日本が残したもので、よかったのはたくあんぐらいだ」
 僕にとってのソウルや韓国を追いかけていくと、どうしてもあの時代がのっそりと顔を出してくるのだ。
 しかし韓国の人たちが、あの時代を意識してたくあんを食べているわけではない。当たり前の漬物として、そう、キムチを食べるようにして、たくあんに箸がのびる。
 このあたりの兼ね合いに悩む。それが日本という国に育った者の代償といえばそれまでなのだが、もう少し、肩の力を抜いた韓国が書けないものかといつも悩む。
 政治の世界では不協和音が響いているというのに、日本からKポップのタレントのコンサートを観るために、日本人の追っかけがソウルにやってくる。それを素直に受け止めようとする思いは、韓国の人にも、そして、日本人にもある気がするが、植民地時代の清算という建前が口を重くしてしまう。
 過去を拭い去ることはできないが、過去に縛られても前に進むことはできない。そのジレンマを、韓国人と日本人は、無意識のうちに感じて立っている。この国の路上に立つと、いつもその立ち位置で悩む。足どりに爽快感がない。
 1冊の本を書く。自分がどこに立っているのかが、相変わらず決められない。そんな自分をどう書くかということになるのかもしれないが。


Posted by 下川裕治 at 16:29│Comments(1)
この記事へのコメント
たくわんは大根には戻らないとも言いますから、それなら、大根への回帰を望まず、今のたくわんを楽しむのはいかがでしょうか?
思い悩んむだけ損です。
Posted by 冒険野郎に憧れ野郎 at 2015年06月20日 14:14
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