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ナムジャイブログ

2015年11月09日

インターネットというガス抜き

 小学生のノートの表紙から昆虫が消えた話は寂しかった。僕は子供の頃、かなりの昆虫少年だった。いまでもそうかもしれない。
 長い間、入眠書は、『ファーブル昆虫記』だった。入眠書というのは、眠る前に布団のなかで読む本である。『ファーブル昆虫記』を読むと、心が穏やかになり、安らかに眠れるような気がした。
 しかしリアルな昆虫の写真は気持ちが悪いという人はいる。そういうクレームにメーカーは反応したのだが、それは過剰だったか、正しかったのか。
 インターネットが普及し、この種のクレームが増えたことはたしかだろう。不満を自由に発信できなかった時代を、インターネットというツールは変えてしまった。
 最近、このインターネットの効力が気になってしかたない。人間というものは、不満を文章にして発信することで、少なからずすっきりする。溜飲をさげるとまではいわないが、ストレスの解消にはなる。
 そこには、その内容を誰か読んでくれるという前提がある。しかし、どれだけの人が読んでくれているのかとはあまり考えない。書いたことで満足してしまう空気がある。
 個人が手にする発信ツールが少なかった時代、人々の不満は蓄積し、最後には大きなうねりになったことが多かった。
 しかし最近は、不満をブログやフェイスブック、ツイッターという手段で小出しにしてしまい、不満が蓄積しないのではないかと思えてしかたない。
 僕は文章を書いて暮らしているが、旅に出た後、一気に筆が進むことが多い。旅の間は原稿を書かないから、欲求が貯まってくるのだろうと思う。
 原稿を書くということは、そういうことだ。それを、小さなガス抜きばかりさせてしまうのがインターネットという気がしないではない。その内容は、ときに炎上するが、大きなうねりにはならない。きっと毎日、どこかで炎上が起きていて人はそれほど気にしなくなっているのかもしれない。
 インターネットというツールは、人々の不満の小さなはけ口になり、その結果、皆がなんとなく満たされてしまう社会をつくりつつあるようにも思う。情報というものは、そういう要素をもっているのだ。
 不満はもっているというのに、それを小出しにしてしまい、変革には結びついていかない。それが平和というのなら、なんだか首筋が寒くなってしまうのだ。



Posted by 下川裕治 at 15:45│Comments(2)
この記事へのコメント
あの学習帳から昆虫が消えていたなんて知りませんでした。
私も子供の頃数種類使っていた記憶があります。
特に昆虫が好きと言うわけではありませんが、それでも思い出の一部が消えていくような寂しさを感じます。

現在ブログやSNSなど、自由にインターネット上で表現出来る場が多いですが、リアルタイムで共有出来る利点はわかるものの、思うがまま書き込んでしまうことに少し危機感を覚えます。
Posted by たぬきまるようこ at 2015年11月13日 15:39
学習ノートの昆虫は確かに気持ち悪かったが故にインパクトもあったと思います。
今となっては記憶の片隅にあるものです
それは良い知識になっています。
擬態・・葉っぱのような虫など
虫以外の他にも
パンの実、ラフレシア、コタツのバイメタルの仕組みなんかは記憶に鮮明です。

話しそれちゃった。

ネットで文句→ガス抜き効果→ストレス解消→不満の減→変革の原動力が消失
結局それは今の日本にとって
平和なのか・・・危機なのか・・・

なんとなくですが
海外に答えが有るような気がします。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2015年11月20日 00:43
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