2015年12月07日
投票所で襟を正す
ミャンマーの総選挙が終わった。アウンサン・スーチー率いるNLDが過半数を占める圧勝だった。
選挙の前、東京にいるミャンマー人と話をした。当然、選挙の行方が気になる。
「NLDが過半数を占めたら、混乱すると思うな。もうちょっとで過半数といったところで収まるのがちょうどいい」
そう話すミャンマー人が多かった。しかし結果はNLDの圧勝。日本に住むミャンマー人とミャンマーに住むミャンマー人の温度差ということだろうか。
選挙当日、ミャンマーの人たちは、早朝の6時から投票所に列をつくった。その映像を目にしながら、20年以上前に行われたカンボジアの選挙を思い出していた。
ポル・ポト政権が崩壊したカンボジアは混乱状態だった。国連カンボジア暫定統治機構が組織され、そのなかで総選挙が行われた。
やはり朝から、カンボジアの人々は投票所に並んだ。皆、きちんとした身なりをしていた。正装だった。
カンボジアの人たちにしたら、生まれてはじめて、自分たちの手で政府を選ぶ。誰が決めたわけではなかった。しかし、皆の意識は正装だったのだ。投票を前に襟を正す──。その姿を見たとき、鼻の奥が熱くなった。
ミャンマーの投票所にも、同じような空気が流れていた気がする。ミャンマー人はこれまでも何回か選挙を経験していた。1990年の選挙では、NLDや民族政党が圧勝したが、軍事政権はその結果を受け入れず、逆に民主化勢力を弾圧した。しかし今回は違った。政権側は、「選挙結果を受け入れる」と公言していた。だから彼らは、投票所の前で襟を正した。
こんな選挙は、どの国にも1回はあるのかもしれない。民主主義という言葉が輝く一瞬である。
しかし、選挙はすぐに汚れていってしまう。期待が大きい分、その反動も大きい。選ばれた政党は、すべての期待に応えられるわけではない。やがて選挙は手垢にまみれていってしまうのだ。そんな選挙を、これまで何回、見てきただろうか。それが民主主義というものの悲しい現実でもある。やがて日本のように、投票率はさがっていく。
しかしミャンマー人が羨ましかった。すぐに汚れていくのかもしれないが、僕はいまだかつて、投票所の前で襟を正すような選挙は体験したことがない。はじめて選挙をしたとき、日本の選挙はすでに色を失っていた。
訳知り顔で民主主義を語ることしかできない自分が、少し寂しい。
選挙の前、東京にいるミャンマー人と話をした。当然、選挙の行方が気になる。
「NLDが過半数を占めたら、混乱すると思うな。もうちょっとで過半数といったところで収まるのがちょうどいい」
そう話すミャンマー人が多かった。しかし結果はNLDの圧勝。日本に住むミャンマー人とミャンマーに住むミャンマー人の温度差ということだろうか。
選挙当日、ミャンマーの人たちは、早朝の6時から投票所に列をつくった。その映像を目にしながら、20年以上前に行われたカンボジアの選挙を思い出していた。
ポル・ポト政権が崩壊したカンボジアは混乱状態だった。国連カンボジア暫定統治機構が組織され、そのなかで総選挙が行われた。
やはり朝から、カンボジアの人々は投票所に並んだ。皆、きちんとした身なりをしていた。正装だった。
カンボジアの人たちにしたら、生まれてはじめて、自分たちの手で政府を選ぶ。誰が決めたわけではなかった。しかし、皆の意識は正装だったのだ。投票を前に襟を正す──。その姿を見たとき、鼻の奥が熱くなった。
ミャンマーの投票所にも、同じような空気が流れていた気がする。ミャンマー人はこれまでも何回か選挙を経験していた。1990年の選挙では、NLDや民族政党が圧勝したが、軍事政権はその結果を受け入れず、逆に民主化勢力を弾圧した。しかし今回は違った。政権側は、「選挙結果を受け入れる」と公言していた。だから彼らは、投票所の前で襟を正した。
こんな選挙は、どの国にも1回はあるのかもしれない。民主主義という言葉が輝く一瞬である。
しかし、選挙はすぐに汚れていってしまう。期待が大きい分、その反動も大きい。選ばれた政党は、すべての期待に応えられるわけではない。やがて選挙は手垢にまみれていってしまうのだ。そんな選挙を、これまで何回、見てきただろうか。それが民主主義というものの悲しい現実でもある。やがて日本のように、投票率はさがっていく。
しかしミャンマー人が羨ましかった。すぐに汚れていくのかもしれないが、僕はいまだかつて、投票所の前で襟を正すような選挙は体験したことがない。はじめて選挙をしたとき、日本の選挙はすでに色を失っていた。
訳知り顔で民主主義を語ることしかできない自分が、少し寂しい。
Posted by 下川裕治 at 17:26│Comments(3)
この記事へのコメント
日本人にとっての選挙・・・
その選挙自体の価値は低下しているのは事実だと思います。
それは今の日本に不満はあるものの何だかんだ
妥協や小さな満足が有るものと思います。
切羽詰まっていない。
国を変えたいという情熱が
それらの国と意識レベルが違い過ぎるのでしょう。
それだけ日本は平和という事なのでしょうが・・・
しかし怖いのは
このまま危機をゆるゆると見過ごしてしまう・・・
カエルが茹で死んでしまう様に
気づかぬうちに日本が死んでしまう事が怖い。
とそう感じました。
その選挙自体の価値は低下しているのは事実だと思います。
それは今の日本に不満はあるものの何だかんだ
妥協や小さな満足が有るものと思います。
切羽詰まっていない。
国を変えたいという情熱が
それらの国と意識レベルが違い過ぎるのでしょう。
それだけ日本は平和という事なのでしょうが・・・
しかし怖いのは
このまま危機をゆるゆると見過ごしてしまう・・・
カエルが茹で死んでしまう様に
気づかぬうちに日本が死んでしまう事が怖い。
とそう感じました。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2015年12月09日 22:23
毎回投票には行っていますが、そんな風に正装してなどとは考えたこともありません。
数ある候補者の中から、「どうせ誰が選ばれても同じだろう」と思いながら、消去法で選ぶのが常になってしまっています。
めいっぱい正装して参加したくなるくらい、「この人なら」と期待をかけられる人が登場してくれたら嬉しいのですが…。
数ある候補者の中から、「どうせ誰が選ばれても同じだろう」と思いながら、消去法で選ぶのが常になってしまっています。
めいっぱい正装して参加したくなるくらい、「この人なら」と期待をかけられる人が登場してくれたら嬉しいのですが…。
Posted by たぬきまるようこ at 2015年12月10日 13:28
別件に失礼いたしますが、asahi.com の「マンダレーからシーポーへーユーラシア大陸縦断、列車旅7」(文 下川裕治 写真 中田浩資)2015年12月9日
を読ませていただきました。
気になる点が1点、「高さ約335メートルの世界で2番目に高いというゴッティ鉄橋」ですが、これは「フィート」のようですよ。
「世界第2位の高さの鉄橋」という記事を各所で見かけますが、数年前の現地の国営メディアのものがおおもとのような感じです。
「高さ102メートル」ですと、「鉄道橋」としてはそれほど高くはないですね。
「鉄橋=鉄だけでできている橋」ということでは世界有数の高さかもしれませんが、「構造物がほぼ鉄だけの橋」は現代では作られないので、世界的な「橋の高さ」の記録上位には「純粋に鉄だけの橋」は見当たらないようです。
を読ませていただきました。
気になる点が1点、「高さ約335メートルの世界で2番目に高いというゴッティ鉄橋」ですが、これは「フィート」のようですよ。
「世界第2位の高さの鉄橋」という記事を各所で見かけますが、数年前の現地の国営メディアのものがおおもとのような感じです。
「高さ102メートル」ですと、「鉄道橋」としてはそれほど高くはないですね。
「鉄橋=鉄だけでできている橋」ということでは世界有数の高さかもしれませんが、「構造物がほぼ鉄だけの橋」は現代では作られないので、世界的な「橋の高さ」の記録上位には「純粋に鉄だけの橋」は見当たらないようです。
Posted by 匿名 at 2015年12月19日 15:42
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。