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ナムジャイブログ

2016年05月16日

あまりに理不尽な緑島物語

 台湾の緑島にいる。台東から船で1時間ほどの島だ。以前から行ってみたい島だった。ここには、かつて、政治犯を収監した刑務所あった。当時は監獄島と呼ばれていた。
 すでに亡くなってしまったが、台湾人の知人に李清興さんがいた。彼は晩年、ひとつの勉強会に出ていた。彼から、柯旗化氏が書いた本を渡された。日本語に訳された本だ。勉強会は柯氏の奥さんも加わっていた。
 柯は政治犯として2回、緑島に送られていた。英語の教師だった。当時の政権は、そういう知識階層を標的にした。
 彼の人生、そして緑島に送られた台湾の人たちの境遇を考えたとき、「理不尽」という言葉が浮かんできてしまう。
 日本の敗戦を機に、台湾には中国の国民党がやってくる。日本軍の武装解除が目的だった。しかし、やってきた国民党の兵士は、大陸での国共内戦の敗残兵だった。彼らが台湾人に対して行ったことは、台湾の人々の反発を買う。台湾人はこういった。「犬が去って、豚が来た」。そして抗議行動がはじまる。それがピークに達したのが2.28事件だった。
 これに対して国民党は徹底的な弾圧を加える。白色テロの時代である。知識階級が狙われ、彼らは中国共産党のスパイとされた。
 でっちあげだった。終戦まで台湾を支配していたのは日本だった。共産主義の思想は入り込む余地はなかった。確かに戦後、中国共産党のスパイは台湾に潜り込んでいたかもしれないが、台湾で生まれ育った本省人には無縁のことだった。
 しかし英語の本をもっていた、といったいいがかりをつけられ、共産主義者のレッテルを貼られ、緑島に送られた。
 国民党は、反抗勢力を排除するために、イデオロギーを利用しただけだった。緑島に送られた政治犯は、共産主義者でもないのに、思想教育を受けた。茶番だったが、本省人は反抗できなかった。多くは10年の刑期が課せられていた。自らの思想で緑島に送られたなら、まだ納得がいく。しかし島に送られた政治犯は、あまりに理不尽な人生だった。
 死刑になった人も多い。しかし、なんとか生き延びた受刑者は、その後、民進党を支える政治家になった人が少なくない。理不尽な弾圧は、えてしてこういう結末を生む。
 緑島の刑務所は1987年まで続いた。
 それから30年。台湾は大きく変わった。最近では緑島に送られた人々も歳をとり、彼らの主張は、ときに疎まれもする。
 緑島はリゾート島への道をまっしぐらに進んでいた。若者たちは、タンクを背負って海に潜り、夜は海鮮料理の店に集まる。
 一説には、100万人が犠牲になったともいわれる、蒋介石率いる国民党の白色テロは、風化の一途を歩んでいる。

■このブログ以外の連載を紹介します。

○クリックディープ旅=ユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅。ロシアに入国。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html

○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
http://dot.asahi.com/dot/2016042600040.html

○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまはタイ南部をうろうろしてます。
http://tabilista.com/cat/se-asia/

○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
http://tabinote.jp/


Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(1)
この記事へのコメント
台湾総統に民進党の蔡英文氏のニュースが
何だかちょっぴり嬉しいです。
しかし
総統選挙を受けて、台湾への旅行客数を制限と言う
いかにも中国的な圧力をかけているようですね。
そんなやり方に屈しないでほしいです。

台湾は豚から一線を引く政策を今後進めて行けるのかが気になります。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2016年05月25日 01:57
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