2016年07月11日
最後の試合になってしまった
先ほどまで、那覇のセルラースタジアムにいた。夏の甲子園の沖縄大会。ベスト8まで進んだ八重山商工は、嘉手納高校と当たった。延長11回、八重山商工は負けた。2対1だった。
ちょうど10年前になる。石垣島の八重山商工が夏の甲子園に進んだ。沖縄の離島の高校初だった。沖縄の予選、そして甲子園の試合を観戦し、監督や選手、石垣の人々から話を聞き、『南の島の甲子園』という一冊の本をまとめた。
それ以来、毎年、夏の甲子園の沖縄県予選を観戦するようになった。沖縄県の大会は早くはじまる。7月下旬になると台風が沖縄を襲う。その前に優勝校を決めなくてはならないためだ。高校はまだ夏休みに入っていないから、試合は週末に限られる。それに合わせて那覇に来るようになった。
本土は梅雨である。しかし沖縄は盛夏。僕の夏は、沖縄ではじまる気がした。
今年限りで、八重山商工の野球部の伊志嶺監督が引退する。甲子園に出場したときの監督である。本を書いたときはずいぶんお世話になった。その後も、石垣島を訪ねると会うことはあったが、やはり僕が好きな伊志嶺監督は、グランドで、ユニホームを着て選手に檄を呼ばす姿だった。
10年の間、毎年のように、那覇の球場で伊志嶺監督を眺めていた。彼の姿に、僕自身や父の姿が重ねていた。
父はすでに他界しているが、長く高校野球の監督や部長を務めていた。僕の家は、高校野球一色だったのだ。ある年の夏、監督を務めていた高校が、惜しい負け方をした。その夜、眠ることができない父の姿を見た。
「球場には野球の神がいる」
酒に酔ったときの、父の口癖だったという。
伊志嶺監督も、よく、野球の神の話をした。
今日の試合にも、何回か神のいたずらがあった。延長11回の表。ランナーは3塁。高いバウンドのピッチャーゴロに投手が飛びついたが、ボールが嫌ったかのようにグラブを弾く。それを見た3塁ランナーがスタートを切った。弾いたボールを拾いあげたショートが本塁に送球するが、間一髪、セーフ。これが決勝点になった。
こんなことで勝敗が決まる野球。父や伊志嶺監督は、この野球の神に憑かれてしまったような人生を歩んだ男だった。
伊志嶺監督は62歳。僕と同じ年である。厳しいことで知られる彼の野球指導を続けるには、やはり年をとったのだろうか。引退を前に、彼はこうインタヴューに答えている。
「人間が丸くなった」
昨日、八重山商工がベスト8に進む試合を観て、僕は10年ぶりの甲子園を描いていた。しかしそれはかなわなかった。彼の最後の試合を見届けてしまった。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅。そろそろ最終回です。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまはタイ南部をうろうろしてます。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
ちょうど10年前になる。石垣島の八重山商工が夏の甲子園に進んだ。沖縄の離島の高校初だった。沖縄の予選、そして甲子園の試合を観戦し、監督や選手、石垣の人々から話を聞き、『南の島の甲子園』という一冊の本をまとめた。
それ以来、毎年、夏の甲子園の沖縄県予選を観戦するようになった。沖縄県の大会は早くはじまる。7月下旬になると台風が沖縄を襲う。その前に優勝校を決めなくてはならないためだ。高校はまだ夏休みに入っていないから、試合は週末に限られる。それに合わせて那覇に来るようになった。
本土は梅雨である。しかし沖縄は盛夏。僕の夏は、沖縄ではじまる気がした。
今年限りで、八重山商工の野球部の伊志嶺監督が引退する。甲子園に出場したときの監督である。本を書いたときはずいぶんお世話になった。その後も、石垣島を訪ねると会うことはあったが、やはり僕が好きな伊志嶺監督は、グランドで、ユニホームを着て選手に檄を呼ばす姿だった。
10年の間、毎年のように、那覇の球場で伊志嶺監督を眺めていた。彼の姿に、僕自身や父の姿が重ねていた。
父はすでに他界しているが、長く高校野球の監督や部長を務めていた。僕の家は、高校野球一色だったのだ。ある年の夏、監督を務めていた高校が、惜しい負け方をした。その夜、眠ることができない父の姿を見た。
「球場には野球の神がいる」
酒に酔ったときの、父の口癖だったという。
伊志嶺監督も、よく、野球の神の話をした。
今日の試合にも、何回か神のいたずらがあった。延長11回の表。ランナーは3塁。高いバウンドのピッチャーゴロに投手が飛びついたが、ボールが嫌ったかのようにグラブを弾く。それを見た3塁ランナーがスタートを切った。弾いたボールを拾いあげたショートが本塁に送球するが、間一髪、セーフ。これが決勝点になった。
こんなことで勝敗が決まる野球。父や伊志嶺監督は、この野球の神に憑かれてしまったような人生を歩んだ男だった。
伊志嶺監督は62歳。僕と同じ年である。厳しいことで知られる彼の野球指導を続けるには、やはり年をとったのだろうか。引退を前に、彼はこうインタヴューに答えている。
「人間が丸くなった」
昨日、八重山商工がベスト8に進む試合を観て、僕は10年ぶりの甲子園を描いていた。しかしそれはかなわなかった。彼の最後の試合を見届けてしまった。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅。そろそろ最終回です。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまはタイ南部をうろうろしてます。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at 18:58│Comments(0)
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