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ナムジャイブログ

2016年08月29日

途上国は努力しても先進国にはなれない

 日本人7人を含む20人が殺害されたダッカテロ。事件以来、知り合いのバングラデシュ人たちが、さまざまな情報を伝えてくれる。8月27日にはナラヨンゴンジュで、タミーム・チョードリが警察によって殺害されたこともすぐに知らせてくれた。
 タミーム・チョードリ。彼は今回のテロを計画した中心人物だった。
 チョードリはカナダで育った。バングラデシュに入り、若者を洗脳し、テロ実行犯に指示を与えていた。ISに近いといわれる彼の洗脳はこんな論理だったという。
<途上国はいくら努力しても先進国にはなれない。常に豊かさは先進国に集まっていってしまう。それぐらいなら、民主主義とは無縁の自分たちの国をつくろう。そのひとつがイスラム国だ>
 バングラデシュのエリートの中には、この発想に反応してしまう人がいるという。
 この話をしてくれたのは、日本の大学院に留学しているバングラデシュ人だった。彼は流暢な日本語でこういった。
「僕も少しだけわかる気がする」
 話を聞いた店のテレビはオリンピック一色だった。その日は、レスリングで金メダルを獲得した日だった。
「日本のテレビは毎日、オリンピックばかりでしょ。そしてメダルの獲得数を国別に映し出す。その国を見ると、G7とかG8の国がほとんど。オリンピックって、先進国のイベントだって思うんです。バングラデシュは7人の選手が参加したけど、たぶんメダルはゼロ。ずっと参加しているけど、メダルは一つもとっていません。日本語がわかるようになって、日本の選手がすごい訓練と努力を重ねていることがわかってきました。資金力があって、それであれだけ努力する。バングラデシュの選手はきっと、永遠にメダルはとれないだろうなって、日本に留学して思いました。その気持ちに似ているかもしれません。チョードリの洗脳に反応してしまう若者は」
 途上国から先進国に留学した青年は、メダルに沸き立つ日本や日本人を、そんな視線で見ていた。
 タリバンからアルカイダへと、過激なイスラム思想は広まっていった。しかしそこにあるのは、キリスト教国家への攻撃という図式だった。しかしISはなにか本質的に違う気がする。
 ヨーロッパの学者が、ISはニヒリスティックだと評していた。彼らがもつ虚無性ゆえに、残忍な行為に走ることができるのだと。そうだとしたらそこに流れるものは、途上国は永遠に先進国になれないという絶望のような気がするのだ。
 ダッカテロは厳しい問題を突きつけている気がする。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=シンガポールからマレーシアの旅。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。ようやくタイの鉄道を完乗? マレーシアの鉄道の完乗紀行。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 16:16│Comments(3)
この記事へのコメント
確かにそうかもしれない。
経済もメダルも先進国に敵わない。
特に女子スポーツの世界

途上国でスポーツができる環境にある女性はごくごく僅かでしょうね。

そこにはまだまだ男女の格差があったり
子育て生活があったりして
女性は大変だと思います。

競技自体も先進国に有利な物が多い気がします。

選考の段階で色々な思惑が繰り広げられていることでしょう。

スポーツ人口とお金のバランスが良い国が強いのは先進国なのでしょうね。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2016年09月03日 03:47
私が子供のころ、第三世界の国々の未来はひらけているように思われていました。そういう遅れた国々の多くは東側陣営に心を寄せ、社会主義の魔法によって楽に先進国になろうとしました。

あれから五十年以上経ち、先進国の顔触れはほとんど変わっていません。新たに先進国の仲間入りができた国はひとつも出ませんでした。先進国は西欧北欧の国々、アングロサクソン諸国、そして日本の三種類だけです。西欧を除くユーラシアに先進国はひとつも生まれませんでした。アフリカや中南米からも生まれませんでした。五十年も経つのに、植民地から独立した国々で先進国になった例はひとつもありません。これをどう考えたらよいのでしょう。

社会主義国がなかなか豊かになれないのは、資本主義諸国からの経済的嫌がらせがあるからだという論法がかつてありました。植民地だった国々が貧しいのは、英仏が富を全部吸い上げてしまったからだという理屈もありました。しかし五十年も経っています。アフリカの貧困を英仏のせいにはもうできないでしょう。バングラデシュなどの遅れた国々は、貧困の新しい言いわけを懸命に探しているのだと思います。

明治の小国日本は、自国の貧困を外国のせいにはしませんでした。それだけのことかもしれません。

長文で失礼いたしました。
Posted by くろねこ at 2016年09月08日 23:23
四半世紀前?の大学生の頃、アジアを旅行していて圧倒的に物価が安いのを感じました。
年々その差が縮まるのを痛感します。
うわあ追いつかれる追いつかれる!
‥しかしアジアの人たちは追いつけないと感じているのでしょうか?
残念ながら、追いつかれる感の方が当たっている気がしますが。
Posted by rose at 2016年10月05日 09:30
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