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ナムジャイブログ

2016年12月26日

消えゆく沖縄

 仲村清司氏が、新刊を送ってくれた。『消えゆく沖縄』(光文社新書)。広州からラサに向かう列車のなかで読んだ。
 読み終え、しばらく車窓に広がる黄土高原を見続けていた。
 どうしたらいいのだろう。
 なにを書けばいいのだろう。
 目を覆うほどに貧しい車窓風景を眺めながら、しきりと呟いていた。
 彼とは長いつきあいになる。いまでも那覇に行ったときは必ず会う。ときに彼が鬱で入院しているときは、ぽつんと泡盛をなめるように飲んでいるが。
 ちょうどそういうときだったと思う。彼は病院にいた。僕はひとり、『土』というバーにいた。この本に登場する、ごうさんの店だった。
 ごうさんは今年、癌で死んだ。最後は、京都のアパートにいた。雪が降った日、ごうさんは仲村氏に電話をかける。自らの死を悟った男が、病院のベッドにいる仲村氏に、京都に来なさいよ、と誘う。早く来ないと雪が解けちゃうよ。そう、沖縄には雪は降らない。ふたりはともに沖縄移住者だった。
 仲村氏と僕は、沖縄ブームの中でともに躍った。ふたりで次々に本を出した。どれもがよく売れた。彼も僕も物書きである。本が売れることは、やはりうれしい。ときに、沖縄ブームの仕かけ人という評も耳にした。
 しかしブームは去る。そして彼と僕は、沖縄の人たちから厳しい言葉を浴びせられることになる。
「あなたたちが沖縄を売った」
 反論はある。しかし彼も、僕も、沖縄の人たちの言葉を受け止めた。真面目だったのだろうか。いや、違う。彼も僕も、沖縄が好きだったのだ。仲村氏の病は、その頃から進行していった。
 そんなふたりを、慰めてくれたのが、ごうさんだった。「そんなことはないよ」。『土』というバーのカウンター越しに、いつもそんな言葉が返ってきた。
『消えゆく沖縄』の本の帯には、「遺書」と書かれている。おそらく仲村氏がそうしたいといったのだろう。
 その言葉を目にしたとき、仲村氏は抜けたのかもしれない……そう思った。少し羨ましかった。それは僕のように、旅人として沖縄にかかわるのではなく、移住したからこそ編みだせた言葉ではないかと思えたのだ。
 原点に戻れるのか──。それは仲村氏と僕にとっての命題かもしれない。あれほど輝いていた沖縄にまた出合えるのか。
 また歩いてみようと思う。沖縄を丁寧に歩いてみようと思う。
 僕にはそれしか手段がない。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅がはじまる。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 12:41│Comments(3)
この記事へのコメント
ここ数年で沖縄へは10回ほど行きました。
ほんの数年ですが沖縄の変化を感じることごできました。
農連市場の近くにあった沖縄そば屋さんはつぶれてしまった。
あそこの350円のソーキそばは美味しかったです。
タイでも何処でもそうなのかもしれないけれども、
この土地に来たら必ずここのお店に来ると決めているお店が、場所が消えてしまうのは悲しいです。
そうやって少しずつ街並みは変わってしまい、
そして並行して文化も変わってしまうのでしょうか?
Posted by たぬきまるだいすけ at 2017年01月14日 16:24
骨に響きました。また出会えますよ。
ただ、下川さん、「遺書」ではないですよう。「遺言」。これだけ言っておきたいという意味合いが強いと思います。
Posted by 谷子 at 2017年01月30日 00:48
仲村さんの本に感化され、沖縄に住みついて15年になります。
ごうさんのお店にも仲村さんから紹介してもらいました。
ごうさんの言葉はその通りと思います。
下川さん、今の沖縄をじっくり見て意見してください。
Posted by ゴーヤ at 2017年06月07日 20:16
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