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ナムジャイブログ

2017年01月02日

心優しい日本の儀式

 日本の元旦には、様々な儀式がある。初詣とか屠蘇、ご来光を仰ぐという人もいるだろう。一般的な儀式以外にも、母親のつくった雑煮を食べないと年が明けた気がしないという人もいる。正月の儀式には、育った家庭の習慣が色濃く投影する。
 家族を離れた人も、自分なりの儀式をつくっていく。年末年始のカウントダウンを知人と海外ですごす……と決めている人もいる。テレビを眺めていると、年始の祭りに心血を注ぐ人たちが登場する。日本の正月は、そんな儀式が目白押しだ。社会や個人を問わず。
 昔から、この儀式が苦手だった。なにか照れくさいような思いもあった。正月は暦では重要な1日かもしれないが、昨日の今日であることに変わりはない。イスラム圏で新年を迎えるとその事実を教えられる。地域性の強い儀式にすぎないとも思っていた。
 信州の松本の高校を卒業し、ひとり暮らしをはじめた。できるだけ、儀式とは縁のない暮らしを選んできたような気がする。
 それは、間違っていたのかもしれない。そう思ったのは、40歳のときだった。その年、親族のひとりが悲しい死に方をした。通夜、そして葬儀が慌ただしくすぎていった。喪失感に浸る余裕もなかった。忙しい時間に救われていた。そのとき、人は儀式を行うことで、悲しみを忘れるための時間を手にしようとしていたことに気づいた。
 人間とは、なんと頭のいい生き物かと思ったものだった。
 知人に若い頃から茶道を続けている女性がいる。しきたりを守るという作法を延々と繰り返していく。若い頃は、いったい茶を淹れるという昔ながらの所作を踏襲していくことに疑問を感じていた。しかし、20年、30年と続けているうちに、その意味がわかってくるのだという。彼女は著書でそう書いていた。日々是好日──。その心境に辿り着くには、ひたすら儀式に染まっていくしかないらしい。
 年をとるということ。それは様々な儀式にまみれていくことである。家族ができれば、儀式はさらに増えていく。
 いま日本の箱根にいる。温泉宿ですごす年末年始である。家族と一緒だ。安い宿がみつかったことがきっかけだった。箱根の元旦は快晴である。白い富士山が青空にくっきりと浮かびあがる。
 新年の誓いはしない。子供の頃、そういうことをしなくてはいけないような気がしたが、誓いはすべて守れなかった。そういう人間だと思っている。富士山を眺めながら心を埋めていたことは、これから迫ってくる4、5冊の本の締め切りだけだった。
 しかし大涌谷から元旦の富士山を眺める人たちのなかに身を置くと、やはり救われる。日本人が編みだした装置は心優しい。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ミャンマー鉄道、終着駅をめざす旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 17:44│Comments(1)
この記事へのコメント
日本の文化の中ある儀式のルーツを想像するともしかしたら…
半分は優しさの塊で出来ている…まさにバファリンのようなものかもしれませんね(笑)
確かにお葬式があることで悲しみを軽減し気持を切り替えるような所があるかもしれません。49日、法事と徐々にその悲しみを薄めてくれるそんな気がします。
こういう儀式ごとの意味を自分なりに解釈していくのも良いなと思いました。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2017年01月14日 16:01
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