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ナムジャイブログ

2017年05月01日

ミャンマーの列車は馬が牽く?

 ミャンマーのカンゴーという街にいる。マンダレーの西に、パコックという街がある。そこからカレーミョーを結ぶ線の途中あたりにある。山あいの小さな街だ。
 朝5時にパコックを発つ列車に乗り、昼すぎにヂョーという街に着いた。列車の車掌が乗り合いバン乗り場までバイクで運んでくれた。それから2時間。この街に着いた。
 明日の列車でカレーミョーに向かう。
 かつてパコックとカレーミョーは列車でつながっていた。しかしヂョーとカンゴーの間が水害で線路や鉄橋が流されてしまったという。この間が不通区間なのだ。
 僕はてっきり、パコックとカレーミョーの全線で、列車の運行をやめたと思っていた。
 しかしミャンマーの国鉄はしぶとい。不通区間以外の路線に列車を走らせていたのだ。
 明日、乗ることになるカンゴーとカレーミューの路線は、どこにもつながっていない。水害のとき、とり残されてしまった車両を使って運行しているのだ。もしこの車両が壊れてしまったら、新しい車両をもち込むことは難しい。線路はどこにもつながっていないからだ。
 今回、ミャンマーに来て以来、そんなローカル線ばかり乗っている。車両はもちろん、涙が出そうになるほど古い。ドアはない。森林鉄道のようなものだ。線路は修復されず、みごとに波打っている。そこを、老朽化したディーゼル機関車が牽引するのだが、時速は、10キロほどではないかと思う。先頭で馬が牽いているといってもおかしくはない。横の農道を走る自転車に追い抜かされる。
 日本、いや、世界の列車という概念にはとても及ばない。しかしミャンマーでは、列車というもののレベルをずっとさげて、いまでも走らせているのだ。
 毎日、そんな列車ばかり乗っていると、いとおしさすら覚えてしまう。軍事政権時代、ミャンマーの経済は完全に停滞した。援助もわずかだった。そうなれば、いまあるものを使ってなんとかしなくてはならない。ミャンマーの列車の進化は止まり、むしろ後退していったのに、まだ列車を走らせているのだ。
 これは遺物以前の列車のように思う。
 これほどひどい列車に乗ることのできる国は、もうないような気がする。
 しかしミャンマーの田舎の人たちは、それが当たり前かのように今日も列車に乗っているのだ。
 民政化以降、ミャンマーは変わった。いまや新しいバスや乗り合いバンが我が物顔で走りはじめている。しかし運賃は列車の10倍ぐらいはする。今日乗った列車は、8時間乗って運賃は100円ほどだった。
 それは、ミャンマーに急速に生まれている格差社会そのものでもある。結局、話はそこに収斂してしまう。ミャンマーの列車のいとしさとは、そういうことなのだろうか。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=タイからラオスへの旅。そして、世界の長距離列車旅を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 09:23│Comments(1)
この記事へのコメント
8時間乗って100円!?
なんと安い。
でもノロノロだからあまり進まないのかなぁ。
ベトナムみたいに外国人料金取らないところがいいですね。
「ミャンマーの鉄道に古い日本の車両が使われている」と言うテレビを見ましたが、いくら日本製でも線路がボコボコだとそんなに速度出せませんね。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2017年07月18日 17:43
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