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ナムジャイブログ

2010年01月18日

64歳の帰国

 成田を発った飛行機は、もうバンコクのスワンナプーム空港に着いたのだろうか。朝のタイ国際空港だといっていた。
 ひとりのタイ人が帰国した。
 彼と会ったのは、23年前になる。そのとき僕は、バンコクのタイ人の家に下宿をし、タイ語を習っていた。下宿の主人が、友だちを連れてきた。サウジアラビアへの出稼ぎから帰ったという中年のタイ人だった。中国人の血が強いのか、色白の丸っこい顔つきの男だった。
 その翌年には、彼は日本にいた。観光ビザで入国し、工場で働くという日本での不法滞在の道を選んだ。
 それから22年。彼は日本にいた。不法滞在だから、1回もタイには帰っていない。
 その間にいろんなことがあった。3人の子どもうち、長男と次女が日本に留学した。長男が日本でエイズに罹った。その治療に奔走したこともある。エイズはきちんと治療を受けていれば、普通に生きることができる。タイに帰った長男は元気に働いている。しかしエイズの薬は高い。それをまかなうことができたのも、彼が日本で働いていたからだった。次女も留学を経て帰国した。いまでは日系企業で働く高給とりである。
 いろんなことがあった。彼が日本でタイ人女性と暮らしていることが発覚し、奥さんが乗り込んできたこともあった。奥さんは、「絶対に彼にはいうな」と念を押しながら、成田空港に出迎えてほしいと電話をかけてきた。乗り込むつもりだったのだ。
 しかし最寄り駅について、彼に電話をしてほしいと僕にいった。やはり別の女と暮らす夫を見たくなかったのかもしれない。電話をすると、30分で駅に迎えにいくという慌てた彼の声が返ってきた。彼は大慌てで女を知り合いのアパートに移し、部屋から女の痕跡を消して駅まで迎えにきた。すべてを知っていた僕は、胸をなで下ろしたものだった。
 いろんなことがあった。僕がタイ人の売春組織の記事を書いたときも手伝ってくれた。
「俺にはふたりの娘がいる。辛いなぁ」
 日本に売られたタイ人女性と会った帰り道で彼は呟くようにいった。
 いろんなことがあった。レストランを開くときの保証人も僕で、メニューをつくったのも僕だった。彼は毎年、タイフードフェスティバルに店を出した。今度は僕のふたりの娘をアルバイトで雇ってくれた。
 帰国する前、東京駅で会った。タイ料理屋で食事をした。
「バンコクに戻ったらすごく驚くと思うよ」
「22年は長かったよ」
「まだ働く?」
「子どもたちに金がかかったからなぁ。なかなか楽になれないよ」
「でも、皆、立派に大人になったじゃないか。それはすごいことだよ。だめなタイ人がいっぱいいるんだから」
 帰国の前夜、電話がかかってきた。22年ありがとう……という声が少しくぐもっていた。
 もう64歳である。


Posted by 下川裕治 at 12:28│Comments(1)
この記事へのコメント
不法滞在の22年。

十分本にできそうな内容ですね。でも知人恩人をネタにはできないですね。
Posted by Yo at 2010年01月21日 22:45
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