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ナムジャイブログ

2018年11月12日

シニア世代も海外旅行離れ?

 先週、休載させていただいた。理由は山である。ネパールのアンナプルナ山麓を歩いていた。トレッキングである。
 歩きはじめる前、このブログのことを考えた。はたして山小屋はメールが繋がるのだろうか。ブログを書くためにはパソコンが必要になる。それをザックに入れるかどうか。
 30年ほど前に、アンナプルナのトレッキングを体験していた。かなりきつかった。荷物の重さは、歩く時間が長くなるほど堪えてくる。当時は僕も30歳台。いまとは基礎体力が違う。申し訳ないが、ザックにパソコンを入れないことにした。
 アンナプルナのトレッキングは、この30年で、かなり変わっていた。登山口まではジープなどに乗るのだが、その距離がだいぶ長くなった。途中にニューブリッジという新しい吊り橋もできた。以前の吊り橋よりだいぶ高い位置につくられた。橋げたの下、100メートルほどのところに川が流れるという吊り橋。下を見ると足がすくんでしまいそうになるのだが、この橋を渡るだけで、以前より3時間以上早く目的地に着くことができるようになった。
 30年前、ポカラからチョムロンまで2日間歩かなくてはならなかった。さらに1日歩くと、アンナプルナベースキャンプだった。それが1日歩くだけでチョムロンに着くようになった。
 チョムロンはこのルートの最後の村。トレッカーも楽になったが、村人にとっては革新的なことだった。かつてポカラまで2日かかったものが1日。頑張れば日帰りも可能になった。トレッキングルートは生活の道でもある。ネパールの山のなかに暮らす人々はずいぶん楽になったわけだ。
 はたして前のように歩くことができるのだろうか。不安を抱えて、山道に汗を絞った。もう64歳なのだ。足の筋肉の衰えはわかっていた。
 なんとかチョムロンまでは歩くことができた。以前は山小屋が2軒だけだったチョムロンの村。いまは15軒の山小屋がひしめいていた。そのなかの1軒に泊まった。小屋にはガイドやポーターも泊まっていた。ひとりのガイドが、日本語で声をかけてきた。
「どうして最近、日本人はやってこないいんですか」
 彼は以前、日本語の山岳ガイドだった。日本語も勉強したという。しかしいまは日本人が激減。英語のガイドをしていた。
 代わって増えているのは中国人と韓国人だという。
 トレッキング客は、中高年が多かった。日本人の若者が海外に出ない話はよく聞くが、日本人の中高年も……。
 中国人の増加は、経済環境で説明できるが、日本より状況がよくない韓国の人々がなぜ?説明がつかない。
 かつてのヒマラヤトレッキングを支えたのは団塊の世代だった。その次の世代は……。考え込んでしまった。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記


Posted by 下川裕治 at 15:22│Comments(1)
この記事へのコメント
先日お世話になった久保田です。
去年まで4年ほど毎年行っていました。ネパール人の友人と話して、思ったことです。
ネパールはそこそこ長い休みが取れないと楽しめないのが理由じゃないでしょうか?飛行機も天候が理由でキャンセルも多いようですし、ツアーを組みにくいと聞いています。1週間ですとトレッキングも1,2日が限界ですし。去年ジョムソンに行ったときは、中高年の日本人も1組くらいしか見かけませんでした。若い白人はそこそこいたので、やはり休暇システムが理由じゃないでしょうか。
Posted by くぼた at 2018年11月12日 16:32
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