2018年11月19日
またあの時代が戻ってくる
また、あの時代に戻りつつある。実家のある松本に列車で向かいなから、そう思った。途中の塩尻駅で乗り換えたのだが、そのホームにアジア人の青年が数人、列車を待っていた。
言葉からベトナム人だとわかる。おそらくいま話題の技能研修生だろう。
日本での不法就労が盛んだった頃、長野県の工場で働くアジア人は、少なくなかった。休日に、東京にいる友だちに会いにいくのだろうか。新宿と松本を結ぶバスや列車には、必ずといっていいぐらいアジアからの出稼ぎの若者が座っていた。当時はタイ人やフィリピン人が多かった。
その後、日本の景気が後退する。この種の問題は景気に敏感だ。日本の工場で働く外国人は目にしなくなった。僕には実感がないのだが、おそらく日本経済は好転してきているのだ。深刻な人手不足。そこで技能研修生というわけである。
不法就労と技能研修生──。本質的にはなにも変わっていない気がする。基本的に出稼ぎが目的である。安いアジアからの労働力を頼りにする日本の産業界の構造も同じだ。
変わったことといえば、技能研修生という大義名分をつけたこと。そしてタイ人やフィリピン人から、ベトナム人やインドネシア人に変わったことだけだ。技能研修生も、高い給料に誘われて逃亡してしまえば不法就労になる。また同じ問題が起きてくる。
景気のいいときだけ、アジア人の労働力を頼りにする。その構造はなにも変わっていない。以前、シンガポールのリー・シェンロン首相が、「外国人労働者はバッファーだ」と発言して、物議を醸したことがある。日本も本音はそうなのだ。批判をかわすための方策を考えただけのことだ。
しかし、アジア人は人間である。どんな労働環境であろうと、日本人との人間関係をつくっていく。タイ人もそうだった。日本人との間で、信頼や恋愛やトラブルが、次々に起こっていった。当時、僕の電話番号が、不法就労のタイ人の間に広まっていて、さまざまな話がもち込まれた。「子供ができちゃったけどどうしよう」という相談もあった。自分の遺産をタイ人に譲りたいとう日本人もいた。病院と警察からの電話も多かった。不法就労のタイ人の死に何回も立ち会った。
また、あの時代が戻ってくる。タイ人は少ないので安穏としているが、ベトナムとかかわった日本人は大変かもしれない。放ってはおけないような事態に巻き込まれていくのだろう。
その間に、アジアはしっかりと日本に根を張っていく。それが日本社会をどう変えていくのか。それを考えると、少し暗い気分になってくる。日本人の意識がなかなか変わらないからだ。これからも技能研修生は増えていく。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
言葉からベトナム人だとわかる。おそらくいま話題の技能研修生だろう。
日本での不法就労が盛んだった頃、長野県の工場で働くアジア人は、少なくなかった。休日に、東京にいる友だちに会いにいくのだろうか。新宿と松本を結ぶバスや列車には、必ずといっていいぐらいアジアからの出稼ぎの若者が座っていた。当時はタイ人やフィリピン人が多かった。
その後、日本の景気が後退する。この種の問題は景気に敏感だ。日本の工場で働く外国人は目にしなくなった。僕には実感がないのだが、おそらく日本経済は好転してきているのだ。深刻な人手不足。そこで技能研修生というわけである。
不法就労と技能研修生──。本質的にはなにも変わっていない気がする。基本的に出稼ぎが目的である。安いアジアからの労働力を頼りにする日本の産業界の構造も同じだ。
変わったことといえば、技能研修生という大義名分をつけたこと。そしてタイ人やフィリピン人から、ベトナム人やインドネシア人に変わったことだけだ。技能研修生も、高い給料に誘われて逃亡してしまえば不法就労になる。また同じ問題が起きてくる。
景気のいいときだけ、アジア人の労働力を頼りにする。その構造はなにも変わっていない。以前、シンガポールのリー・シェンロン首相が、「外国人労働者はバッファーだ」と発言して、物議を醸したことがある。日本も本音はそうなのだ。批判をかわすための方策を考えただけのことだ。
しかし、アジア人は人間である。どんな労働環境であろうと、日本人との人間関係をつくっていく。タイ人もそうだった。日本人との間で、信頼や恋愛やトラブルが、次々に起こっていった。当時、僕の電話番号が、不法就労のタイ人の間に広まっていて、さまざまな話がもち込まれた。「子供ができちゃったけどどうしよう」という相談もあった。自分の遺産をタイ人に譲りたいとう日本人もいた。病院と警察からの電話も多かった。不法就労のタイ人の死に何回も立ち会った。
また、あの時代が戻ってくる。タイ人は少ないので安穏としているが、ベトナムとかかわった日本人は大変かもしれない。放ってはおけないような事態に巻き込まれていくのだろう。
その間に、アジアはしっかりと日本に根を張っていく。それが日本社会をどう変えていくのか。それを考えると、少し暗い気分になってくる。日本人の意識がなかなか変わらないからだ。これからも技能研修生は増えていく。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at 13:01│Comments(1)
この記事へのコメント
精神面で彼らの支えになっていた。
日本での保護者になっている下川さん。
本当に親切ですよね。
今後はその役割を政府が担うべきなのでしょうが…不安ですね。
日本での保護者になっている下川さん。
本当に親切ですよね。
今後はその役割を政府が担うべきなのでしょうが…不安ですね。
Posted by たぬきまるだいすけ at 2018年11月19日 18:51
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。