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ナムジャイブログ

2019年04月08日

「令和」が空まわりする

 4月3日に帰国した。東京の桜はもう終わっていると思っていたが、まだ枝に花が留まっている。気温がさがったためらしい。
 知人に誘われて、皇居の乾通りの桜を観た。以前は入ることができなかった皇居の一画にある桜を鑑賞できるのだという。5年ほど前から一般公開されるようになったらしい。
 入り口で荷物検査とボディチェックを受けた。乾通りはかなりの人だった。しばらく進むと、左手に宮内庁の建物が見えた。
「ここだったのか」
 記者時代に昭和から平成に変わった。秋篠宮が結婚するときも、タイ好きだったこともあり、取材に走っていた。2回ほど、宮内庁に出向いたことがある。特別に入ることが大変だった記憶はない。記者でなくても、宮内庁に用があれば入ることができるエリアだ。
 知人は、「普通、入ることができないところに春と秋に特別に歩けるんだ」と説明してくれたが、どこかぴんとこなかった。
 日本に帰国すると、「令和」話でもちきりだった。新しい年号が「令和」になったことは、帰国の当日に知った。発表から3日もたっていた。新年号が4月1日に発表されることも知らなかった。
 海外にいると、日本のニュースに関心がなくなる。別に、避けているわけではないが、若い頃からバックパッカー流の旅を続けてきたから、日本からの情報がないことに不安はない。泊まるホテルは日本の放送どころか、欧米の番組も観ることができないことが多かった。インターネットもなかった。そんな時代に旅のスタイルがセッティングされてしまった。
 外国にいると、年号を使うことはない。そもそも日本にいるときも西暦で通している。「令和」と聞いたときも、なにも感じなかった。
 日本のテレビを観ていたら、20代の青年がこう答えていた。
「なるべく元号を使うようにしています。日本人ですから」
 日本人はそういう意識なのだろうか。日本人は元号を使うのが筋?
 もしそうだとしたら僕は困ってしまう。平成の時代も、今年が平成の何年かがわかっていなかった。というか、忘れてしまっていた。ときに、なにかの書類で、平成が表記されるとずいぶん困った。急いでネットで調べるなどして、なんとか書類を埋めた。
 令和にしても、今年の令和1年ぐらいは覚えるだろうが、その先は危うい。意図的ではない。使わないから、すぐに忘れてしまうだろう。
 こういうことではいけないのだろうか。僕のなかでは、令和という年号は、春風にまわる風車のように空まわりしている。

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○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズが連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
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Posted by 下川裕治 at 12:46│Comments(0)
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