2019年09月16日
北極圏に舞う煙
カナダのイヌヴィックにいる。北緯66度19分。北極圏である。今日、この街からトゥクトヤトゥクまで行ってきた。目の前に北極海があった。
気温4度。すでに冬ざれたといってもいい寒さだった。
カナダのユーコン州にあるホワイトホースから、延々と車の移動である。途中のドーソンシティからデンプスターハイウエイがのびている。冬季は閉鎖される道だ。このハイウエイの終点はイヌヴィックだった。しかし2年前、さらに北のトゥクトヤトゥクまでの144キロが開通。その道を走ったわけだ。
30年前、トゥクトヤトゥクを訪ねていた。そのときは道がなく、小型飛行機に乗った。世界の道は、北へ北へとのびている。
30年前、トゥクトヤトゥクの浜には、イヌイットの人々が暮らすテントがあった。凍結する冬の間は、さらに北に向かい、そこで猟をしながら暮らす。それがイヌイットの日常だった。しかし氷が融けると身動きがとれなくなってしまう。海岸にテントを張り、寒くなるのを待つわけだ。海岸で暮らす彼らは、陸にあがった河童だった。
しかし今日、トゥクトヤトゥクの海岸ではテントは見つからなかった。町なかには、いかにも政府の援助といった家が並んでいた。そこを歩く人々の顔は日本人にそっくりだった。イヌイットだった。
ホワイトホースから北上するルートは、カナダ側から見れば、辺境に向かう道だが、民族的にはアジアに近づいていく道である。遠い昔、アジアからインディアンがアメリカ大陸に渡った。その後、イヌイットが移っていく。彼らはアメリカ大陸の先住民族ということになる。
インディアン、そしてイヌイットは、その後、つらい立場に置かれていく。世界を席巻していった文化は、狩猟の暮らしとプラスとマイナスの電極のように反発してしまう。
30年前、イヌイットはその分岐点にいたように思う。しかし猟のために移動する生活スタイルは、政府にとっては都合が悪い。国民としての権利や義務という範疇に入ってこないのだ。
イヌイットたちの意識も変わってきた。政府の援助は、一時、アルコールに溺れる大人をつくっていったが、やがて、人生観が変化していく。たとえば子供の教育。そのためには定住が必要だった。
狩猟民族の多くは、こうして民族の生活スタイルを変えていく。インディアンは森のなかの小屋を離れ、イヌイットはテントを捨てて、家に住むようになっていく。
しかし流れる血はそう変わらない。
海岸に沿って粗末な小屋が並んでいた。どれもサケを燻製にする小屋だった。彼らはきっと、焚火のにおいに反応してしまうのだ。その反応力は僕らより強い。日本人が焚火のにおいに反応するレベルではない気がする。
小屋からのぼる煙が、北極からの風に舞っていた。
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★「旅情報ノートクラブ」始めました★
下川裕治をリーダーに、僕らの街、バンコクを紹介する旅好きライター集団。ゲストハウスに必ずあった"旅の情報ノート"に書き込むように『歩くバンコク』で情報発信し、旅好き仲間と交流できる会です。
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■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=台湾の超秘湯の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまも続いています。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
気温4度。すでに冬ざれたといってもいい寒さだった。
カナダのユーコン州にあるホワイトホースから、延々と車の移動である。途中のドーソンシティからデンプスターハイウエイがのびている。冬季は閉鎖される道だ。このハイウエイの終点はイヌヴィックだった。しかし2年前、さらに北のトゥクトヤトゥクまでの144キロが開通。その道を走ったわけだ。
30年前、トゥクトヤトゥクを訪ねていた。そのときは道がなく、小型飛行機に乗った。世界の道は、北へ北へとのびている。
30年前、トゥクトヤトゥクの浜には、イヌイットの人々が暮らすテントがあった。凍結する冬の間は、さらに北に向かい、そこで猟をしながら暮らす。それがイヌイットの日常だった。しかし氷が融けると身動きがとれなくなってしまう。海岸にテントを張り、寒くなるのを待つわけだ。海岸で暮らす彼らは、陸にあがった河童だった。
しかし今日、トゥクトヤトゥクの海岸ではテントは見つからなかった。町なかには、いかにも政府の援助といった家が並んでいた。そこを歩く人々の顔は日本人にそっくりだった。イヌイットだった。
ホワイトホースから北上するルートは、カナダ側から見れば、辺境に向かう道だが、民族的にはアジアに近づいていく道である。遠い昔、アジアからインディアンがアメリカ大陸に渡った。その後、イヌイットが移っていく。彼らはアメリカ大陸の先住民族ということになる。
インディアン、そしてイヌイットは、その後、つらい立場に置かれていく。世界を席巻していった文化は、狩猟の暮らしとプラスとマイナスの電極のように反発してしまう。
30年前、イヌイットはその分岐点にいたように思う。しかし猟のために移動する生活スタイルは、政府にとっては都合が悪い。国民としての権利や義務という範疇に入ってこないのだ。
イヌイットたちの意識も変わってきた。政府の援助は、一時、アルコールに溺れる大人をつくっていったが、やがて、人生観が変化していく。たとえば子供の教育。そのためには定住が必要だった。
狩猟民族の多くは、こうして民族の生活スタイルを変えていく。インディアンは森のなかの小屋を離れ、イヌイットはテントを捨てて、家に住むようになっていく。
しかし流れる血はそう変わらない。
海岸に沿って粗末な小屋が並んでいた。どれもサケを燻製にする小屋だった。彼らはきっと、焚火のにおいに反応してしまうのだ。その反応力は僕らより強い。日本人が焚火のにおいに反応するレベルではない気がする。
小屋からのぼる煙が、北極からの風に舞っていた。
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Posted by 下川裕治 at 12:27│Comments(0)
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