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ナムジャイブログ

2010年03月22日

手塚里美の家庭教師だった

 10日間ほど日本にいる。最近、海外の鈍行列車に乗る取材が進んでいて、日本を離れる日数が増えている。
 日本に帰ると、山のような仕事と耳に届く膨大な情報にうちひしがれそうになる。厳しい話が多いからだろうか。
 大学生の生活費が3割も減っているそうだ。日本学生支援機構が2年に1回行っている調査だ。2008年、学生の食費、住居・光熱費、娯楽費の合計は、平均で年に67万6300円。2000年と比べると27・8%減っている。とくに食費の減少が激しい。1990年から2000年にかけては、24万円平均だったものが、17万6600円にまで落ち込んでいる。
 日本は恒常的なデフレ基調のなかにいる。とくに外食産業はその典型でもある。しかし大学生の食費の減少はデフレだけで説明できる割合ではない。
 このニュースが目に入った理由がある。
 しばらく前、大学生たちのアルバイト収入が減ってきているという話を聞いたばかりだったのだ。原因は家庭教師の減少である。塾が家庭教師というアルバイトを根こそぎ奪ってしまっているのだという。
 僕の大学生活は、家庭教師とインスタントラーメンで支えられていた。1年浪人して大学に入った。大学に入ったら勉強などする必要もないと思っていた僕は2年に進級することができなかった。激しい口論があったわけではないが、僕は親からの仕送りを断った。自分なりの反省もあった。
 それからは家庭教師の日々だった。大学の紹介、家庭教師センターからの斡旋、アルバイトニュース、知人からの紹介……。多いときで3軒の家庭教師と塾の教師をかけもちした。そのなかには、当時、すでにユニチカのマスコットガールだった手塚里美もいた。彼女の高校受験につきあった。
 月収は12万円を超えていた。当時の物価からすれば十分に暮らすことができた。その金で年に1、2回はアジアに向かった。その後、僕は卒業してある新聞社に就職したが、月に受けとる手どり額は、学生時代の月収を下まわっていた。僕は会社には内緒で家庭教師を続けた。1軒だけだったが、週に2回、「取材」と嘘をついて大学の受験生の家に向かった。ひどい新聞記者だった。
 時給が2000円近かった家庭教師の分野に、僕より少し年齢が上の団塊の世代が目をつけていた。学生運動に与した一部の先輩は就職を拒否したが、生きていかなくてはならない。そこで家庭教師を組織化し、塾の経営に走った。そのうち何社かは急成長していく。いまの塾は個人指導も多い。学生が個人で受ける家庭教師は激減していく。塾の教師も専門職化し、素人の学生には声がかからなくなった。
 いまの学生には居酒屋やファストフードのアルバイトしかないらしい。不況のなかでは時給も下がる一方だ。先日、東京の調布駅前のコンビニに貼ってある求人ポスターを目にした。
 時給820円──。
 学生がふらふらとアジアを歩くことができるほど、いまの日本は甘くない。


Posted by 下川裕治 at 14:35│Comments(0)
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