2019年12月23日
よく、あんなことをしたな
ここ何回か、バングラデシュのダッカを午前2時に発ち、朝の5時半にバンコクに着くという飛行機に乗っている。きつい時間帯である。機内食も出るから、まあ、ほとんど徹夜状態でバンコクに着く。
この便になってしまうのは理由がある。南部のコックスバザールからダッカにでるためだ。飛行機とバスがあるが、どれも接続が悪いのだ。結局、この便になってしまう。
それでも、ダッカの空港で、5時間ほど時間をつぶさなくてはならない。今回はチェックインカウンター前のベンチで寝ようかと思った。しかし蚊が多く、なかなか眠ることができない。しかたなく、チェックインが行われるだろうカウンター前で待つ。いつもそうなのだが、僕が乗る便の前、同じカウンターで、シンガポール行きの飛行機チェックインが行われる。
その光景をぼんやり見ていた。子供をふたり連れたバングラデシュ人の一家が、カウンター脇で待っていた。子供はふたりで、まだ幼い。どこか垢抜けた感じで、30歳代だろう奥さんもしっかりした英語を口にした。単純な出稼ぎではなく、シンガポールに暮らしているような雰囲気だった。荷物は多かった。カートに積まれた段ボール。夫と奥さんも大きめなザックを背負い、子供も小さなザックを背負っている。
「あのとき、こんな姿だったよな」
26年前を思い出してしまった。僕は一家4人でバンコクに暮らすことにした。ふたりの娘は3歳と1歳。駐在員とは違い、自分で勝手に決めたバンコク暮らしである。飛行機はユナイテッド航空だった記憶がある。段ボール箱が3、4個。僕と妻はザック姿だった。ふたりの娘も、キティちゃんが躍るザックを背負っていた。そのなかには、着替え用の下着とか、冷房がきついときに切る上着、そしておにぎりが入っていた。子供たちが機内食を食べてくれるかわからなかった。
アパートも決まっていなかった。すべてがバンコクに着いてから……。そんなスタートだった。妻や子供にとってははじめての海外暮らし。僕はフリーランスのライターで、バンコクに仕事があるわけではなかった。
いまにして思えば、「よく、あんなことをしたな」と思う。日本での仕事に疑問を抱きはじめていた。妻は育児に明け暮れ、お手伝いさんがいる暮らしを体験してみたかったのかもしれない。
振り返れば、僕の転機だったのだが、それはいまになっていえることで、当時は先のことなどなにも見えなかった。
しかし僕ら一家は、バンコクに向かった。
バングラデシュ人の家族を見ながら、26年前がシンクロする。空港というものは、当時となにも変わらない。
(次週は1回休載します)
■“旅情報ノート”クラブの内容は、以下のサイトで http://www.arukubkk.com/
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=タイの国境旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=台湾の秘湯シリーズがはじまりました。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
この便になってしまうのは理由がある。南部のコックスバザールからダッカにでるためだ。飛行機とバスがあるが、どれも接続が悪いのだ。結局、この便になってしまう。
それでも、ダッカの空港で、5時間ほど時間をつぶさなくてはならない。今回はチェックインカウンター前のベンチで寝ようかと思った。しかし蚊が多く、なかなか眠ることができない。しかたなく、チェックインが行われるだろうカウンター前で待つ。いつもそうなのだが、僕が乗る便の前、同じカウンターで、シンガポール行きの飛行機チェックインが行われる。
その光景をぼんやり見ていた。子供をふたり連れたバングラデシュ人の一家が、カウンター脇で待っていた。子供はふたりで、まだ幼い。どこか垢抜けた感じで、30歳代だろう奥さんもしっかりした英語を口にした。単純な出稼ぎではなく、シンガポールに暮らしているような雰囲気だった。荷物は多かった。カートに積まれた段ボール。夫と奥さんも大きめなザックを背負い、子供も小さなザックを背負っている。
「あのとき、こんな姿だったよな」
26年前を思い出してしまった。僕は一家4人でバンコクに暮らすことにした。ふたりの娘は3歳と1歳。駐在員とは違い、自分で勝手に決めたバンコク暮らしである。飛行機はユナイテッド航空だった記憶がある。段ボール箱が3、4個。僕と妻はザック姿だった。ふたりの娘も、キティちゃんが躍るザックを背負っていた。そのなかには、着替え用の下着とか、冷房がきついときに切る上着、そしておにぎりが入っていた。子供たちが機内食を食べてくれるかわからなかった。
アパートも決まっていなかった。すべてがバンコクに着いてから……。そんなスタートだった。妻や子供にとってははじめての海外暮らし。僕はフリーランスのライターで、バンコクに仕事があるわけではなかった。
いまにして思えば、「よく、あんなことをしたな」と思う。日本での仕事に疑問を抱きはじめていた。妻は育児に明け暮れ、お手伝いさんがいる暮らしを体験してみたかったのかもしれない。
振り返れば、僕の転機だったのだが、それはいまになっていえることで、当時は先のことなどなにも見えなかった。
しかし僕ら一家は、バンコクに向かった。
バングラデシュ人の家族を見ながら、26年前がシンクロする。空港というものは、当時となにも変わらない。
(次週は1回休載します)
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Posted by 下川裕治 at 12:16│Comments(0)
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