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ナムジャイブログ

2021年02月15日

不要不急の行動が人を支えていた

 猫がやってきた。
 以前、我が家には2匹の猫がいた。2年前にそのうちの1匹が死んでしまい、もう1匹の猫との静かな生活が続いていた。年齢は10歳だから、人間でいったらシニア、老猫である。
 やはり我が家は猫好きなのだろうか。知人から子猫を譲り受けることになった。生後3ヵ月。以前から我が家にいる猫とうまくやっていけるかが不安だった。そこで子猫を2匹もらうことになったのだが……。
 これがとんでもなく元気なのだ。老猫に慣れていたせいもあるのかもしれないが、運動量がまったく違う。
 老猫と一緒になると、まだ互いに威嚇するので、2匹は僕の部屋に入れていることが多い。原稿に疲れ、ぼんやり2匹の子猫を眺める。ときに2匹はとっくみ合いをはじめる。窓枠に必死にのぼろうとする。本棚の隙間に意味もなく入ろうとする。
 意味がない……。
 そう、子猫の行動は、ほとんど意味がないのだ。無駄なのだ。
 そこへいくと老猫の行動からは無駄がなくなってきている。ただ寝ていることが多くなった。無駄な行動をする体力がなくなってきたということかもしれないが、老化とはそういうことではないかと考えてしまう。

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ
 
 このブログでも以前、紹介しただろうか。有名な歌である。後白河天皇が編纂した「梁塵秘抄」に載っている。
 解釈はいろいろある。
 遊ぶ子どもを見ながら、ふと呟く。
「遊びをしようと生まれてきたのだろうか」
 その背後には、雑事や煩雑な人間関係のなかで右往左往している自分がいる。つまり、童心を思い出し、無邪気に遊ぶことができたらどんなにいいだろう、という伏線が張られている歌。僕にはそう聞こえる。
 子猫に限らず、子どもの動きには無駄なものが多い。意味もない行動だ。
 遊びとは突き詰めれば、意味のないことに行きつく気がする。老いということは、人生に遊びがなくなってきたことを意味するのだろうか。
 コロナ禍用語を使えば、不要不急の行動が自分のなかで減ってきていることに気づく。
 そして人生というものは、不要不急の行動で支えられていることにも、また気がついてしまうのだ。
 コロナ禍を暗くしているのは、新型コロナウイルスの感染拡大ではなく、意味のないことに熱中することへの評価が低くなっているためだと、最近、やっと気づいた。皆がウイルスに苦しんでいるなか、無駄な行動を起こすことはとんでもなく勇気がいる。
 それに気づいたところで、人々の瞳に光が射し込むわけではないが。




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Posted by 下川裕治 at 12:47│Comments(0)
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