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ナムジャイブログ

2021年02月22日

曾良が好きになる

 朝日新聞社の旅行サイト「&T」で「奥の細道」を辿る旅の連載を続けている。
「奥の細道」は、芭蕉と門下の曾良が江戸を出発し、東北の松島、平泉、酒田などをめぐり、北陸道を歩いて金沢、敦賀を経て、大垣までの道のりを、俳句をつくりながら続けた旅の記録である。
 といっても、これをノンフィクションというには無理がある。実際の旅とは違うシーンがときどきある。旅行記というより、文学作品と考えたほうがいい。
「奥の細道」の研究者が頼りにするのは、同行した曾良の日記である。僕も原稿を書く上で、曾良の日記で確認することが多い。
 曾良の日記はメモに近い。歩いたルートや泊まった宿、出会った人々などが克明に記録されている。
 曾良の役どころは、師匠である芭蕉のマネージャーである。宿を探し、しばしば句会を開いて旅の費用を捻出している。曾良がいなかったら、「奥の細道」は実現しなかった。
「奥の細道」は、最初から最後まで、芭蕉と曾良のふたり旅のように思っている人もいるかもしれない。しかしふたり旅は金沢まで。金沢から終着地の大垣までは、芭蕉門下の俳人たちが同行している。
 北陸道を通って金沢に辿り着いたとき、曾良は体調を崩す。長旅の疲れということもあったかもしれないが、金沢には芭蕉を師と仰ぐ俳人たちが多く、彼らが芭蕉の世話をするようになる。つまり曾良の存在が薄れてしまうのだ。曾良はいじけてしまったかのように床に伏してしまう。そのあたりの曾良の心理は興味深い。
 芭蕉の東北の旅に同行できる……それは芭蕉門下のなかの大抜擢だった。しかし曾良は自分に句の才能がないこともわかっていた。だから心酔する芭蕉の世話に徹した。それで心が満たされたのだ。
 芭蕉と曾良は山中温泉で別れる。山中温泉でも曾良の体調はよくなかった。芭蕉の足手まといになってはいけない……。曾良はそう考えたといわれる。しかし曾良は芭蕉の少し先を進み、宿に芭蕉がくることを伝え、芭蕉の宿代を置いていく。
 師と仰ぐ人のために身を犠牲にして尽くしていくのだ。
 思い出すのは、幕末の土佐藩郷士の岡田以蔵である。司馬遼太郎の小説「人切り以蔵」で知られる。師と仰ぐ武市半平太のために、暗殺という汚れ仕事に身を投じていくのだ。師に喜んでもらえるだけのために……。
「奥の細道」のルートを辿る旅を書くために芭蕉の著作を読み、曾良の日記を読んだ。そして曾良という人物が好きになり、芭蕉がちょっと嫌いになった。そして才能というものの冷酷さもまた知ってしまった。




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○クリックディープ旅=芭蕉の「奥の細道」を辿る旅を連載中。
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Posted by 下川裕治 at 12:22│Comments(0)
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