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ナムジャイブログ

2021年05月03日

退院して「ケチャップ。」に出合う

 月曜日に入院し、5月2日退院した。予定では前日の退院だったが、麻酔の抜けぐあいが悪く、検査が半日遅れ、日曜日になってしまった。
 東京は緊急事態宣言のただなかだった。毎日、ベッド脇にあるテレビから流れるニュースでは、新型コロナウイルスの変異株に動揺する日本各地の様子が映し出されていた。それをただぼんやり観ていた。
 入院したのは総合病院で、新型コロナウイルスの感染者も受け入れていた。棟は違ったが。入院時には、院内クラスターを出さないことへの対策がいくつかあった。それらをクリアーし、入院した病棟は、湖の底のように静かだった。そこにあったのは、日本の高齢化社会の現実だった。
 外科手術をうけた老人が多かった。まあ、僕も人のことはいえない年齢だが、車椅子やストレッチャーで運ばれる患者に比べれば、まだまだ元気だった。
 ときおり、電話で話す声が聞こえてくる。コロナ禍で談話室や電話コーナーが閉鎖。面会もできない。廊下での電話だけが許されていた。
 癌の患者が多かった。腫瘍摘出手術を受けた人が多かった。これから抗がん剤の治療がはじまるのかもしれない。
 そのつらさを知っているのか、声に張りがない。逆に元気を装って電話をかける老人もいる。不自然に明るい声が切なさを募らせてしまう。新型コロナウイルスとは無縁の病気だったが、どちらもつらい。新型コロナウイルス患者への治療は、どこか最前線の緊張感が漂っているが、通常病棟には、淡々と対峙しなくてはならない治療や死が横たわっていた。
 そのなかで僕はなにをしていた?
 管やコードと格闘していました。前号でお伝えしたヘパリン置換は点滴で行われる。手術後は、抗生物質や栄養剤の点滴が増え、心電図や酸素濃度を測るコードもつながっている。尿道にも管が入っている。テレビやスマホの音はイヤホンで聞かなくてはならない。そこにマスク……。全部で7本。体の周りは管やコードだらけだった。
 それが1本、そして1本ととれて退院になる。
 家に戻ると、上海から届いた封筒が机の上に置かれていた。「ケチャップ。」という雑誌だった。上海に暮らす萩原晶子さんが編集にかかわった雑誌だ。昔からの知り合いである。雑誌をつくることは知っていた。
 その話を聞いたとき、「どうしていま?」と思ったものだった。アジア各地でフリーペーパーが次々に休刊や廃刊に追い込まれていた。コロナ禍は、そんな文化を直撃していたからだ。
「ケチャップ。」をめくりながら、指に力が入っていく感覚を思い出していた。雑誌としての完成度が高いわけではない。そういう技術的なことを超えたもの……。
 コロナ禍は人々の言葉を薄くした。「頑張ろう」、「元気」、「パワー」……そんな歯が浮いた言葉とは違うさりげない事実。それを拾いあげていく姿勢。1冊の雑誌の底にはそんな救済が流れていた。

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Posted by 下川裕治 at 20:03│Comments(0)
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