2021年07月12日
「クリックディープ旅」の連載が終わる・後編
9月末で終了になるネット連載の「クリックディープ旅」。ここから多くの本が生まれた。しかし、活字世界の停滞とネット社会の広がりのなかで右往左往を繰り返していた連載でもあった。前編ではクリック数を稼ぐ構造と、ネット社会に移行したなかで評価された読み物という話をした。
後編は世知辛いお金の話からはじまる。
「クリックディープ旅」は、必ず取材に出ていた。目的地の9割以上は海外。当然、費用がかかる。ネット連載のギャランティではとても足りない。企画が実現しないのだ。
そこで出版社の企画と擦り寄っていくことになる。
活字離れのなか、全体的な本の売りあげが落ちてきていた。僕の場合、海外に出向かなくてはならない。いくら貧乏旅行の下川裕治といわれても、ある程度の費用はかかる。
それが出版社の予算にのしかかっていた。旅の経費を計上すると、本の単価があがってしまう。すると売れ行きに影響がでる。そこで多くなってきたのが相乗りだった。2~3社の企画を1回の旅ですませ、経費を軽減していく方法だった。しかしそううまくいくものではない。
そこでネット連載だった。連載のギャランティを丸ごと取材費にあてる発想だった。実質的に収入が減ることになるが、そうでもしないと本が発行されなかった。
ひとつの流れができあがっていく。出版社との話し合いや編集会議で、本の企画が決まる。その旅をネットで連載し、そのギャラを旅の経費に当てていく。ネット連載は本のPRにもなった。
この連載から多くの本が生まれた背後にはそんな事情があった。本の企画が決まっているのだから、連載から本への流れはスムーズだった。
編集会議では、企画案が練られていく。何回か会議が開かれ、ようやく発行が決まる。連載が載るサイトにしても、それだけ練られた内容だから、やはり面白い。互いの補完関係もできあがっていった。
朝日新聞社には出版部門もあった。もちろんそこから出版される本が多かったが、他社からも出版できた。そんな時期がしばらく続いた。
旅の本を書く知人からは、「下川さんはよく本が出せますね。旅の経費はどうしてるんですか」とよくいわれた。
実はこんな構造があって……と伝えたが、僕には幸運なことだったとも思う。
若い書き手はなかなか本が出せず、ネットの世界で原稿を書く人が多くなっていった。しかしネットの世界のギャランティは安かった。ネット記事の読者が多くても、それが本になると反応が少ないこともよくあった。やはり読者の感覚が違うのだ。
活字からネットへ。端境期だったのだ。僕の「クリックディープ旅」は、そのなかを泳いでいた。
しかしコロナ禍で旅が封印された。「クリックディープ旅」の連載終了の原因は、旅行関係から広告がまったく入らないことだったが、連載が続いた年月の間に、ネットの世界も写真から動画へと移っていた。そういう時期だった気がする。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
面白そうだったらチャンネル登録を。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=東京再発見の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
後編は世知辛いお金の話からはじまる。
「クリックディープ旅」は、必ず取材に出ていた。目的地の9割以上は海外。当然、費用がかかる。ネット連載のギャランティではとても足りない。企画が実現しないのだ。
そこで出版社の企画と擦り寄っていくことになる。
活字離れのなか、全体的な本の売りあげが落ちてきていた。僕の場合、海外に出向かなくてはならない。いくら貧乏旅行の下川裕治といわれても、ある程度の費用はかかる。
それが出版社の予算にのしかかっていた。旅の経費を計上すると、本の単価があがってしまう。すると売れ行きに影響がでる。そこで多くなってきたのが相乗りだった。2~3社の企画を1回の旅ですませ、経費を軽減していく方法だった。しかしそううまくいくものではない。
そこでネット連載だった。連載のギャランティを丸ごと取材費にあてる発想だった。実質的に収入が減ることになるが、そうでもしないと本が発行されなかった。
ひとつの流れができあがっていく。出版社との話し合いや編集会議で、本の企画が決まる。その旅をネットで連載し、そのギャラを旅の経費に当てていく。ネット連載は本のPRにもなった。
この連載から多くの本が生まれた背後にはそんな事情があった。本の企画が決まっているのだから、連載から本への流れはスムーズだった。
編集会議では、企画案が練られていく。何回か会議が開かれ、ようやく発行が決まる。連載が載るサイトにしても、それだけ練られた内容だから、やはり面白い。互いの補完関係もできあがっていった。
朝日新聞社には出版部門もあった。もちろんそこから出版される本が多かったが、他社からも出版できた。そんな時期がしばらく続いた。
旅の本を書く知人からは、「下川さんはよく本が出せますね。旅の経費はどうしてるんですか」とよくいわれた。
実はこんな構造があって……と伝えたが、僕には幸運なことだったとも思う。
若い書き手はなかなか本が出せず、ネットの世界で原稿を書く人が多くなっていった。しかしネットの世界のギャランティは安かった。ネット記事の読者が多くても、それが本になると反応が少ないこともよくあった。やはり読者の感覚が違うのだ。
活字からネットへ。端境期だったのだ。僕の「クリックディープ旅」は、そのなかを泳いでいた。
しかしコロナ禍で旅が封印された。「クリックディープ旅」の連載終了の原因は、旅行関係から広告がまったく入らないことだったが、連載が続いた年月の間に、ネットの世界も写真から動画へと移っていた。そういう時期だった気がする。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
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○クリックディープ旅=東京再発見の旅を連載中。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
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Posted by 下川裕治 at 15:20│Comments(0)
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