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ナムジャイブログ

2021年09月20日

勝手な男が逝ってしまった

 9月30日に西荻窪にある「のまど」という書店でトークイベントがある。「アジアのある場所」(光文社)の発売記念のイベントである。そのなかで、なぜ、アジアや沖縄の店にいくと落ち着くのか……僕なりの話をしようと思っていた。
 理由のひとつは、彼らの勝手さだった。身勝手とは違う。エゴイスティックでもない。彼らは他人に対しても勝手だが、自分にとっても勝手だった。
 だからほっとする? 他者との関係にばかりふりまわされる日本人は気が休まる?
 モデルがいた。金城吉春……。
 沖縄料理屋「あしびなー」の主人だった。
 訃報が入ったのは16日の朝だった。15日の夜、息を引きとったという。
 癌だった。コロナ禍で店への足も遠のいてしまっていた。
 同年齢だった。生まれた月も近かった。彼は子供が小さかったから、「70歳までは働かないといけないさー」と笑っていたが。
 知り合ったのはだいぶ前かもしれない。僕が新里愛藏さんという老人の本を書いてからなにかと話をするようになったのだろうか。
 彼との関係はいつからとか、この件で会ってから……といえるものでもなかった。彼の店にいくと、閉店後、一緒に洗い物をすることも多かった。食器をかたづけ、「じゃあ」と声をかけて、僕は自転車で自宅に帰る夜も多かった。
 吉春さんは三線を弾く。沖縄民謡も歌う。彼が企画に加わってはじまった祭りも多い。
 チェンマイの北にあるチェンダオに一緒に行ったことがあった。タイの少数民族と沖縄民謡グループがいくつか参加したイベントだった。僕は参加する50人ほどの日本人の世話役だった。
 彼はエイサーチームを率いるというか、彼がいるところにエイサーチームができるという存在だった。その集まりに何回か出たが、彼が抱えもつ沖縄に魅了され、若者たちが集まっていた。沖縄民謡を習うとか、エイサーを踊ることは見せかけの目的で、吉春さんと一緒にエイサーを演じたいという若者が多かった。若者にモテたわけだ。
 しかし吉春さんはそんなことには無関心だった。無口だから、考えていることもよくわからなかった。
 勝手な男だった。台湾でエイサーを演じたことがあった。たまたま僕も台北にいて、ステージを手伝った。イベントが終わり、用意されたマイクロバスで台北に戻った。メンバーは台北では夜市や土産物などの話を交わしていたが、最後尾に座っていた吉春さんは歯を磨いていた。
「疲れたからホテルに帰ったらすぐ寝る」
 そういう男だった。
 一度、店の経理をどうするか、という話をしていたとき、吉春さんはこんなこともいった。
「俺は日本語の読み書きができないから」
 まったく字が読めないわけではないだろうが、かなり苦手そうなことはたしかだった。中卒で大阪に働きに出た。プレス工だった。中学もちゃんと行っていない気がする。しかし母親譲りの料理のセンスがあった。
 やはり吉春さんは沖縄だったと思う。東京にいることが不思議な存在だった。
 なにを思ったのか、こんなことをいわれたことがあった。
「南風原で一緒に店をやらないか。俺が料理をつくるから、店をみてよ」
 笑ってごまかしたが、僕にしたらまんざらでもなかった。60歳台の男がふたりで店を出す? 
 トークイベントでは、そんな話をしようかとも思っていたのだが。

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Posted by 下川裕治 at 10:46│Comments(0)
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