2022年01月10日
ウイルスの時間感覚に寄り添う
このブログは日曜日に書くことが多い。2022年の最初の日曜日は1月2日。1回、休載させてもらった。今回が「明けましておめでとう。今年もよろしくお願いします」である。
1月2日は、信州の実家から東京に戻るバスのなかにいた。天気はよく、富士山がよく見えた。車内は満席だった。
その頃から、新型コロナウイルスの新規感染者がじりじりと増えはじめていた。そしてその週に一気に感染者が増えた。オミクロン株になってきたようで、感染力は強く、感染者の増加は10倍以上になった。
大きな流れのなかでみれば、新型コロナウイルスは、公式通りに弱毒化の道を歩んでいる。オミクロン株が終焉株なるとは思えないが、自然は嘘をつかない。
しかしウイルスのサイクルと、人が生きる速さはかなり違う。もちろん人の意識のほうが速い。10倍? 100倍? 多くの人が狭いところに暮らしていることが感染を速めた。ウイルスは粛々と自分の道を歩んでいるが、その間に人は感染し、経済が止まり、生活苦にあえぐ人が出てくる。
誰も大きな声ではいえないが、自然の摂理に従って、多くの人が感染していったほうが終焉が速いのではという思いがある。結局は失敗してしまったが、スウェーデン式の集団免疫理論を本気でとり入れていくのは、ウイルスが弱毒化してきたいまなのでは、という思いもある。しかしその過程で犠牲者が出てしまうため、人はなんとか感染を抑え込まなくてはいけないというルールのなかで生きるしかない。
ベトナムは感染を防ぐために、厳しい行動制限を続けた。感染者が出た建物やエリアを隔離した。ゼロ・コロナをめざしたわけだ。しかし昨年の10月、ウイズ・コロナに舵を切らざるをえなくなった。厳しい規制を敷いても、感染者の増加を止めることができなかったのだ。
すべての国のコロナ対策を綿密に分析したわけではないが、いま、ゼロ・コロナを全面に出しているのは中国だけではないかという気がする。多くの国がゼロ・コロナをめざしたが、途中で方向転換を迫られた。
中国がゼロ・コロナを標榜できるのは、可能にする資金力、国家体制を支配する権威主義、オリンピックなどの要因があるが、もうひとつ、科学というものへのとらえ方がある気がする。社会主義という構造は、ときに科学と表現される。自然の流れに合わせていくのではなく、よりよい生活を科学的に設計していくわけだ。資本主義や民主主義にもその要素はあるが、社会主義のほうがより鮮明に打ち出される。その論理でいけば、人は新型コロナウイルスに勝たなくてはならない。
ロックダウン下の西安の人々の叫びは、勝たなければいけない試合と決めてしまったことが生んだ痛々しさがある。
かといって日本を含めた世界の国々がうまくいっているわけではない。
ウイズコロナとは、ウイルスに対して白旗を揚げることではない。しかしウイルスがもつ時間感覚に、人はもっと寄り添っていかなくてはいけない気がする。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg?view_as=public
面白そうだったらチャンネル登録を。
■noteでクリックディープ旅などを連載。
https://note.com/shimokawa_note/。
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
1月2日は、信州の実家から東京に戻るバスのなかにいた。天気はよく、富士山がよく見えた。車内は満席だった。
その頃から、新型コロナウイルスの新規感染者がじりじりと増えはじめていた。そしてその週に一気に感染者が増えた。オミクロン株になってきたようで、感染力は強く、感染者の増加は10倍以上になった。
大きな流れのなかでみれば、新型コロナウイルスは、公式通りに弱毒化の道を歩んでいる。オミクロン株が終焉株なるとは思えないが、自然は嘘をつかない。
しかしウイルスのサイクルと、人が生きる速さはかなり違う。もちろん人の意識のほうが速い。10倍? 100倍? 多くの人が狭いところに暮らしていることが感染を速めた。ウイルスは粛々と自分の道を歩んでいるが、その間に人は感染し、経済が止まり、生活苦にあえぐ人が出てくる。
誰も大きな声ではいえないが、自然の摂理に従って、多くの人が感染していったほうが終焉が速いのではという思いがある。結局は失敗してしまったが、スウェーデン式の集団免疫理論を本気でとり入れていくのは、ウイルスが弱毒化してきたいまなのでは、という思いもある。しかしその過程で犠牲者が出てしまうため、人はなんとか感染を抑え込まなくてはいけないというルールのなかで生きるしかない。
ベトナムは感染を防ぐために、厳しい行動制限を続けた。感染者が出た建物やエリアを隔離した。ゼロ・コロナをめざしたわけだ。しかし昨年の10月、ウイズ・コロナに舵を切らざるをえなくなった。厳しい規制を敷いても、感染者の増加を止めることができなかったのだ。
すべての国のコロナ対策を綿密に分析したわけではないが、いま、ゼロ・コロナを全面に出しているのは中国だけではないかという気がする。多くの国がゼロ・コロナをめざしたが、途中で方向転換を迫られた。
中国がゼロ・コロナを標榜できるのは、可能にする資金力、国家体制を支配する権威主義、オリンピックなどの要因があるが、もうひとつ、科学というものへのとらえ方がある気がする。社会主義という構造は、ときに科学と表現される。自然の流れに合わせていくのではなく、よりよい生活を科学的に設計していくわけだ。資本主義や民主主義にもその要素はあるが、社会主義のほうがより鮮明に打ち出される。その論理でいけば、人は新型コロナウイルスに勝たなくてはならない。
ロックダウン下の西安の人々の叫びは、勝たなければいけない試合と決めてしまったことが生んだ痛々しさがある。
かといって日本を含めた世界の国々がうまくいっているわけではない。
ウイズコロナとは、ウイルスに対して白旗を揚げることではない。しかしウイルスがもつ時間感覚に、人はもっと寄り添っていかなくてはいけない気がする。
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Posted by 下川裕治 at 11:23│Comments(0)
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