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ナムジャイブログ

2022年02月14日

春の雪だな

 2月10日、東京に雪が降った。朝から降りつづき、夜になるとさらに激しくなるという予報だった。事務所に行かず、家で仕事をすることにした。
 気象庁はいつにない警戒ぶりで、雪を前に記者会見まで行った。そしてテレビのニュースからは、「不要不急の外出は控える」というコロナ用語が聞こえた。
 不要不急という言葉にはずいぶん悩んだ。曖昧すぎるのだ。人によってなにが不要不急なのかがまったく違う。それをひとくくりにして具体例がない。政治用語にも映る。
 たとえば旅。一般的には不要ということになる。旅に出なくても死ぬことはない。しかし僕のように旅を生業にしている者にとって不要不急なのか。世のなかには、そういう仕事をしている人が少なからずいる。アーティストといわれる人たちもそうだ。コンサートはアーティストにとって不要不急なのかという話になる。
 こういう話に入り込むと、またしても新型コロナウイルスの隘路に入り込む。筆致修正しないと……。
 雪の夜、原稿を書いていた。ときどき外を見ると、大粒の雪が降りつづいていた。ふたたびパソコンの画面に視線を落とす。
 すると、ドサッという音が聞こえた。その後も何回か、その音が耳に届く。
「春の雪だな」
 カーテンを開け、外を眺めた。僕が仕事をしている部屋の脇には小さなベランダがある。その手すりに積もった雪がベランダに落ちていた。
 真冬の雪は細かく、音もなく降り積もっていく。その重さに耐えかねて落ちることは少ない。気温があがり、雪に含まれる水分が多くなったのだろう。
 自然の小さな変化に反応する。四季がくっきりとした日本の感情である。僕はある句会に加わっている。今晩の雪で句ができそうな予感がした。しかしその句会も1年以上開かれていない。
 先日、知り合いの森下典子さんの『青嵐の庭にすわる』(文藝春秋刊)を読み終わった。彼女は、『日日是好日』の映画を製作したとき、その茶道指導スタッフとして加わることになった。原作者が製作にかかわることはあまりない。彼女が体験した映画製作の現場を書き綴った本なのだが、読み終わった後、ネットフリックスで再び『日日是好日』を観てしまった。
 いつも思うのだが、彼女の原稿には季節がある。たとえばこの本の最後。
─湯が沸いた窯が「しー」と音をたてている。/その静かな「松風」に、私はじっと耳をすます。
 お茶を通して季節とつきあってきた人の文章だと思う。
 僕は海外ばかりでかけ、季節感のない日々をすごしてきたが、俳句をはじめて、少し季節を見る習慣がついてきた。
 しかし新型コロナウイルスは、その季節感も奪ってしまった気がする。この2年、季節がどう動いてきたのか、記憶が白濁している。こうしてウイルスに話が戻ってしまうのも、僕の季節への思い入れの軽さなのかもしれない。
 春宵一刻値千金。
 この意味を嚙みしめなければ。

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Posted by 下川裕治 at 11:33│Comments(1)
この記事へのコメント
私は下川さんの12万円の旅の世界一周編の書き出しである「列車は吹雪を纏っていた」が好きです。もうそこからメロメロです。
Posted by アオくん at 2022年02月15日 19:37
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