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ナムジャイブログ

2022年03月21日

行かふ年も又旅人也

『「おくのほそ道」をたどる旅』(平凡社新書)が発売になった。300年以上前、芭蕉と曾良が歩いた道筋を路線バスや徒歩でたどった旅である。
 コロナ禍のなかでの旅だった。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の間を縫うように旅を進めた。いまもそうなのだが、新型コロナウイルスの感染とともにすごす時期は、どこか、コンピュータのロールプレイングゲームの画面を見ている気分に似ている。画面の断片は記憶に残っているのだが、時間の感触がない。記憶は白濁しているのだ。
 つまりは時間の空白である。
「おくのほそ道」をたどる旅も、旅の記憶は鮮明なのだが、そのとき、日本でなにが起きていたかという接点がない。ウイルスはアルファ株だったのか、デルタ株だったのか。それすらはっきりしない。
 旅は明確だが、社会環境が濁っている。不思議な感覚でこの本を眺めている。
 本棚には芭蕉に関する本が何冊もあった。黄ばんだ岩波新書が多い。ずっと気になっていたのだ。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」
 名文である。月日というものを行き交う旅人にしてしまう文章にはいまでも唸る。そこから去来とか、土芳といった芭蕉の弟子の本も一応は読んだのだが、正直なところ、よくわからなかった。単なるダンディズムではないかとさえ思ったこともある。
 しかし旅の途中でふと、思った。月日はコロナウイルスのなかで頼りなく移っていく。元の場所に戻ることもないだろうが、戻りたくもない辛い社会だ。しかしそのなかでたしかなものは、いまこうして歩いているということ。それしかない。しかし旅というものは常に移動していく。
 芭蕉が「おくのほそ道」で得たものは、不易流行の具現化だといわれる。こういうことをいわれると、またわからなくなる。不易流行の意味は、「あらゆるものは変化してやまない」ことだといわれる。だから年月を旅に重ねたということになるのだろうか。
 ひょっとしたら、コロナ禍に「おくのほそ道」を歩いたからこそ、なんとなくわかりかけてきたのかもしれない。
 芭蕉が旅をしたのは元禄の時代である。町人を中心とした文化が栄えた平和な時代のようにいわれるが、はしかやコレラ、天然痘などの疫病が流行っている。
 この旅のスタートは、隅田川を遡る船だった。そこで隅田川花火の案内が流れた。慰霊と疫病が鎮まることを願ってはじまったという話が紹介された。調べると少し違うようだが、花火には、一気に吹き飛ばしてほしい、という思いを載せやすい気もする。
 なんだか少しわかってきたところがある。もう一度、おくのほそ道を歩いてみるともっとわかる?

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Posted by 下川裕治 at 16:04│Comments(0)
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