インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2022年07月25日

木々に間に夏が潜んでいる

 いまの東京は暑い。午前9時には気温が30度を超える朝は珍しくない。自宅から最寄り駅に向かう朝、途中の寺や神社のベンチで小休止することが多くなった。
 68歳だから?
 熱中症対策というわけではないのだが、ペットボトルの水をぐいッと飲む。
 信心深いタイプではないので、参拝することは少ない。とくに神社は、日本の過去がどうしても引っかかってしまい敬遠気味だ。
 なぜ寺や神社で小休止? 気もちがいいのだ。木漏れ日が揺れる木陰は少しだが気温も低い。風が孕む熱も少ない。
 これは日本の伝統なのだろうが、寺や神社の境内には木が多い。日本語には杜とい漢字もある。調べてみると、杜は「樹木が生える場所」ということで森と同義だが、もともとナシの野生種であるヤマナシの意味がある。
 そして社に似ていることから、神社などの木々が多いエリアを杜と書くようになったらしい。だから杜は人工のものであり、手つかずの山の深い森とは違う。
 そんな経緯もあるのだろう。寺や神社の樹木には、どこか神聖なものが宿っているような気分になる。
 僕はアジアを旅することが多い。とくにタイをはじめとする上座部仏教、俗にいう小乗仏教圏は頻繁に訪ねる。街や村を歩き、疲れてくると、ときどき寺で休む。
 アジアの寺の境内は、日本のように木々が多くない。コンクリート製のベンチやテーブルが置かれれいることも多いが、樹木の密度がないせいか、日本の寺や神社のような涼しさがない。それを補うというわけでもないだろうが、アジアの寺は一般に建物が大きい。休む場所は寺の建物のなか。靴を脱ぎ、靴下も脱いで裸足になり、寺のなかに入る。上座部仏教式に仏像の前で手を合わせ、そしてひと休み。アジアの寺は天井が高く、風通しがいい。寺によってはそこで昼寝をしている人もいる。床が石というところも多く、そこに体を横たえるとひんやりとして心地いい。ときに僕も彼らに倣う。
 欧米では教会で休む。こちらも木々が少なく、建物は立派だ。長椅子に座り、正面のキリスト像を眺める。天井が高いから、やはり涼しい。
 アジアの寺や欧米の教会に比べると、日本の寺や神社は、建物は小さい。扉が閉められていることも多い。ときになかに入ることができても、体を横にする場所や椅子がない。
 その代わりに境内の木々がある。日本の寺や神社は、樹木に守られている。そのなかでベンチに座る。日本の宗教は、自然と一体になっている。そういう空間をつくりあげている。
 暑さのなかで、僕の体が樹木にからまっていくような感覚。日本の夏は木々に間に潜んでいる。


■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■noteでクリックディープ旅などを連載。
https://note.com/shimokawa_note/
○旅をせんとやうまれけむ=つい立ち止まってしまうアジアのいまを。
○アジアは今日も薄曇り=コロナ禍の海外旅行を連載中。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji




Posted by 下川裕治 at 16:35│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。