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ナムジャイブログ

2022年08月15日

老いというものが少しわかってきた

 北アルプスの唐松岳に登った。昨日の朝は山頂近くの小屋にいた。台風が迫っているというにに、眼前の剣岳はくっきりと見えた。山の天気はわからない。昨日は山の神が雲を払いのけてくれたような天気だった。
 唐松岳は初心者向きの山だ。白馬からゴンドラやリフトを乗り継いでいけば、標高1400メートル地点まであがってしまう。そこから唐松岳まで1200メートルほどの標高差を登っていくことになる。
 しかし山に登る前夜、気分はかなり落ち込んでいた。自分で決めておきながら、登りたくないという方向に針が大きく振れる。雨が激しくなったらどうしようか。膝は大丈夫だろうか。途中でバテてしまったら……。
 山に登る前はいつもこんな不安に苛まれるものだ。それは若い頃も同じだったが、年をとるにつれ、その不安が増大してきた。山に登ることが億劫だという意識が強くなってきた気がする。
 そんな思いを抱えながらゴンドラやリフトに乗る。天気はあまりよくない。霧が激しく動いていく。リフトの終点まで着き、登山靴の紐を締め直し、登山道を歩きはじめる。
 そのとたん、不安は一気に消えていく。歩けるじゃないか……といった安堵とは違う。岩に足を乗せ、体を持ちあげる。小石が多い斜面をゆっくり登る。心のなかでは、
「ゆっくり、ゆっくり。焦らずに登ろう。このまま歩けば、きっと山頂に着く」
 と繰り返している。山登りに集中しているといったらいいだろうか。若い頃、山に登っていたときの感覚が戻ってくるのだ。
 つまり登りはじめれば、「山に入ってよかったじゃないか」という意識にすぐに移行するのだが、そこまでの壁が、年をとるごとに高くなってきている気がするのだ。
 老いとはそういうことなのかもしれない。
 その壁が年をとるごとに高くなり、最後には越えることが難しくなる。体力の問題というより意識が萎えていく。そして僕は山というものから遠ざかっていくことになる。
 実は旅に出る前にも、同じような感覚に襲われる。億劫なのだ。今年にはいり、カンボジアやラオス、バングラデシュを訪ねているが、いつも旅に出る前は気が重い。昔からそういうところがあったが、登山同様、その意識が強くなってきている。
 僕は旅行作家といわれている。その人間が旅に出ることへの壁に苛まれる。しかし飛行機に乗り、旅がはじまると、その壁は嘘のように消えていってしまう。昔の旅がすっと戻ってくる。旅をつづけることに入り込んでしまえばなんの問題もなくなる。
 しかしその壁は、これから年を追って高くなっていくのだろう。老いとの闘いとは、そのあたりに収斂されてくるような気がする。
 1週間後にはタイ向かう。その前で僕は落ち込んでいくのだろう。そしてかろうじてその壁を越えて旅ははじまる。それを繰り返していく……。老いというものが少しわかってきた。

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Posted by 下川裕治 at 11:57│Comments(0)
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