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ナムジャイブログ

2022年11月07日

一兵卒になっていた

 台北の空港にいる。日本に帰る途中のトランジットだ。バンコクで、「歩くバンコク」の入稿作業を進めてきたが、ゲラをチェックしていく作業になると東京の事務所のほうが楽だ。急遽、帰ることにした。
 バンコクに入ってからほぼ10日、怒涛のような日々だった。毎日、毎日、入稿に追われた。足りない写真を撮りに、バンコク市内を駆けまわった……。
 僕はこのガイドの監修ということになっている。実際にそうだった。以前は。ダコというフリーペーパーを発行する会社に制作を依頼し、ゲラが出た段階で内容をチェックすればよかった。
 しかしそのダコは休刊になってしまう。日本人スタッフはばらばらになり、僕への負担が一気に増え、制作に直接かかわることになる。
 ダコはいま別の方が引き継いで発行はつづいているが、以前に制作にかかわった人はひとりもいない。
 ダコを休刊に追い込んだのは、大きな流れで見ればネット社会の広がりだった。フリーペーパーは企業や飲食店からの広告で成り立っていた。ネット社会は、広告主が独自に広告を行う道をつくっていった。フリーペーパーに頼る必要が少なくなっていった。
 そこを新型コロナウイルスが襲う。「歩くバンコク」も2年間、発行ができなかった。3年ぶりの発行という段階になったとき、頭を抱えた。制作を手伝ってくれる人がバンコクにいないのだ。
 バンコクでは多くのフリーペーパーが発行されていた。多いときで20誌を超えていた。その多くが消えていった。そしてその制作にかかわることで収入を得ていた人たちが帰国してしまったのだ。雑誌づくりを身につけた人たちだった。
「歩く~」シリーズはさまざまな国で発行していた。その関係もあり、アジアを中心に知人が多い。彼らから、いまもよく質問を受ける。「日本に帰国しても生きていけるだろうか」と。「日本も厳しいよ」と伝えるが、現地での仕事がなくなってしまえば帰らざるをえない。ビザの問題もある。
 海外から帰国した人のなかには、日本に戻っていることを伏せて原稿を書いている人も少なくない。現地にいなければその空気感のようなものが伝わらないと思うが、多くのネット記事はそこまで要求しない。ネット情報を集めただけで、記事の体裁は整ってしまうのだ。
 そんな状態である。さまざな人に声をかけて、地図のチェックや店選をしてもらった。しかしそこから先は、編集経験がないと難しい。その人がいない。世界の国々は現地編集者砂漠になってしまっていた。「やるしかないか」。僕が重い腰をあげるしかなかった。
 かつての監修者は、年を経るにつけ、仕事が減るどころか、ますます負荷が増し、今回は一兵卒になってしまった。街を歩き、写真を撮り、原稿を書く。店を選んでくれた人たちが寄せてくれた原稿をまとめるのも僕の仕事になった。
 きつかった。もうへとへとだ。しかし発行までは、まだまだ大変なことが待っている。気の重い帰国である。

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Posted by 下川裕治 at 12:47│Comments(1)
この記事へのコメント
下川さん、お疲れ様です!

人との信用というべきか分からないですけど、

この状況下で、仕事をこなしていくのはとても、

旅だけでもなく強靭な方だと思います。

無理をせずに、バカンスも取り入れて、進んでください。
Posted by 高島 at 2022年11月13日 21:39
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