2023年01月23日
いい時代だった
『週刊朝日』の休刊が発表された。雑誌の休刊は、今後もまず発刊されないことを意味している。事実上の廃刊である。
僕を育ててくれた雑誌である。時代の流れとはいえ……言葉に詰まる。
『週刊朝日』とのかかわりは、デキゴトロジーというコラムページからはじまった。専属記者のような形になり、毎週、木曜日の夕方から、編集部の机で原稿を書いていた。隣には、その後、『日日是好日』を書く森下典子さんがいた。僕らふたりが書く記事の本数が多かった。
僕らが書いた原稿はデスクに渡る。そこで赤字が入れられ、つまり原稿が直されてゲラになる。
僕は大学を出て新聞記者になったから、取材の基本は身に着けていた。それからフリーランスになり、雑誌に原稿を書くようになるのだが、その世界は新聞とは違った。読ませる構成力やそのための取材、そして文章力といったものが問われた。『週刊朝日』のデスクが、駆け出しのライターに、週刊誌の原稿のノウハウを教えてくれたわけではない。僕らは直された赤字から、原稿の書き方を身に着けていく世界だった。
森下さんの本を読むと、ときどき、「似てるな」と思うことがある。僕と森下さんの原稿に赤字を入れてくれたデスクは同じ人だから、僕らの原稿も似てきてしまったのかもしれない。
デスクの赤字からさまざまなものを学んだが、読みやすい原稿を書く……ことはひとつのポイントだと思う。森下さんの本はたしかに読みやすい。わかりづらい部分は、読者目線で説明が加えられている。それを教えてくれたのが、僕同様、デスクだった。
『週刊朝日』は配属替えが多い編集部に映った。僕らの原稿を見てくれるデスクはときどき代わった。いってみれば、僕と森下さんは十数人になるデスクに育てられたようなところがあった。
デキゴトロジーが縁で、僕は「12万円で世界を歩く」という『週刊朝日』のグラビア記事の連載を担当させてもらうようになる。やがてこれが本になり、デビュー作になった。
連載は2年近くつづいた。最後はシルクロードを陸路で進む旅で、36日もかかった。旅を終え、成田空港に着くと、妻が半年ほど前に生まれた長女を抱いて待っていた。黒塗りのハイヤーも用意されていた。編集部が手配してくれた。ハイヤーは中野区の古びたアパートまで僕らを運んでくれた。
いい時代だった。
休刊を聞き、感謝の思いを伝えようと思っても、誰にいったらいいのかわからない。雑誌とはそういうものだ。1冊の週刊誌はあるが、それをつくった人々はめまぐるしく交代し、対象の人がいない。空に向かって、「ありがとう」というしかない。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
僕を育ててくれた雑誌である。時代の流れとはいえ……言葉に詰まる。
『週刊朝日』とのかかわりは、デキゴトロジーというコラムページからはじまった。専属記者のような形になり、毎週、木曜日の夕方から、編集部の机で原稿を書いていた。隣には、その後、『日日是好日』を書く森下典子さんがいた。僕らふたりが書く記事の本数が多かった。
僕らが書いた原稿はデスクに渡る。そこで赤字が入れられ、つまり原稿が直されてゲラになる。
僕は大学を出て新聞記者になったから、取材の基本は身に着けていた。それからフリーランスになり、雑誌に原稿を書くようになるのだが、その世界は新聞とは違った。読ませる構成力やそのための取材、そして文章力といったものが問われた。『週刊朝日』のデスクが、駆け出しのライターに、週刊誌の原稿のノウハウを教えてくれたわけではない。僕らは直された赤字から、原稿の書き方を身に着けていく世界だった。
森下さんの本を読むと、ときどき、「似てるな」と思うことがある。僕と森下さんの原稿に赤字を入れてくれたデスクは同じ人だから、僕らの原稿も似てきてしまったのかもしれない。
デスクの赤字からさまざまなものを学んだが、読みやすい原稿を書く……ことはひとつのポイントだと思う。森下さんの本はたしかに読みやすい。わかりづらい部分は、読者目線で説明が加えられている。それを教えてくれたのが、僕同様、デスクだった。
『週刊朝日』は配属替えが多い編集部に映った。僕らの原稿を見てくれるデスクはときどき代わった。いってみれば、僕と森下さんは十数人になるデスクに育てられたようなところがあった。
デキゴトロジーが縁で、僕は「12万円で世界を歩く」という『週刊朝日』のグラビア記事の連載を担当させてもらうようになる。やがてこれが本になり、デビュー作になった。
連載は2年近くつづいた。最後はシルクロードを陸路で進む旅で、36日もかかった。旅を終え、成田空港に着くと、妻が半年ほど前に生まれた長女を抱いて待っていた。黒塗りのハイヤーも用意されていた。編集部が手配してくれた。ハイヤーは中野区の古びたアパートまで僕らを運んでくれた。
いい時代だった。
休刊を聞き、感謝の思いを伝えようと思っても、誰にいったらいいのかわからない。雑誌とはそういうものだ。1冊の週刊誌はあるが、それをつくった人々はめまぐるしく交代し、対象の人がいない。空に向かって、「ありがとう」というしかない。
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Posted by 下川裕治 at 12:10│Comments(0)
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