2023年03月06日
金門島で味わう「旅の重さ」
台湾の金門島に着ている。土曜日の朝の飛行機で台北から島に入った。テーマは台湾と中国。中国のアモイが肉眼で見える金門島。台湾と中国の軋轢はこの島にどんな影響を与えている? そんな思いでやってきた。
この内容はやがてネットの記事にすることになる。ここでは多くを語らないことにしておく。
今回の金門島は、カメラマンが同行している。コロナ禍の間、僕は何回か海外に出た。そのすべてがひとり旅だった。
新型コロナウイルスの感染がはじまりだした頃、日本では同調圧力が強く働いていた時期があった。渡航制限がはじまる前の感染拡大の初期、僕がバンコクでの日々をこのブログで書いたところ、多くの批判に晒された。そして、海外への旅を発表する場は忽然と消えてしまった。旅の話を書いても、原稿料が出ない状況になってしまったのだ。
それでも僕は旅に出た。各国のルールを守りながら、できる限りの注意を払った旅だったが、それは僕の自己責任の世界だった。そこにカメラマンを引き込むわけにはいかなかった。
そんなコロナ禍が過ぎ去ろうとしているなかで、ようやくカメラマンが同行する旅が戻ってきた。
3年ぶりである。
若い頃、原稿を書く担当とカメラマンはまったく違う分野だった。取材はカメラマンと行くことが当然のことだった。しかしその後、カメラ機材もよくなり、原稿担当が写真を撮るという流れができてきた。僕はその風潮に反発し、カメラマンが同行する旅をさせてもらっていた。それができたのは、僕が書く本がある程度売れていたからだ。新聞社や出版社にしたら、カメラマンのギャランティを払っても……と判断してくれた。ありがたいことだった。
しかしコロナ禍はそれを許してくれなかった。僕はメモを手に、首からはカメラをかけながら飛行機に乗った。
なんとかこなすことができた?
今回、カメラマンと同行して気づいた。こなすことなどなにもできてはいなかった。
動作として写真を撮ることは、それほど時間がかかることではない。しかし1枚の写真には、さまざまな思いが絡んでくる。シチュエーションを選ぶ問題もあるが、天気や太陽の向きも考えなくてはならない。写真に慣れていないということもあるが、コロナ禍の旅を振り返ると、写真に翻弄されていた旅だったと改めて思う。そしてどんな内容の原稿を書くかという葛藤が薄っぺらなものになっていた……と。
金門島は難しい島だ。台湾と中国の関係はかなりねじれている。そのなかの金門島は、多くの矛盾が詰まっている。それを考えると収集がつかなくなる。そんな悩みに入り込めるのは、写真を撮るという負担がないからだと気づいた。
ひとりででかけたコロナ禍の旅は、1日が終わると、なにか仕事をやり終えたような気分に陥っていた。これではいい原稿は書けない。写真も中途半端になる。
コロナ禍を経て、新聞社や出版社の台所は厳しさを増している。原稿を書く担当が写真を撮る流れはより進んでいく。
作品が劣化していくということは、きっとこういうことなのだ。それを打開するには、僕がいい原稿を書くしかない。金門島の旅はなかなか重い。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
この内容はやがてネットの記事にすることになる。ここでは多くを語らないことにしておく。
今回の金門島は、カメラマンが同行している。コロナ禍の間、僕は何回か海外に出た。そのすべてがひとり旅だった。
新型コロナウイルスの感染がはじまりだした頃、日本では同調圧力が強く働いていた時期があった。渡航制限がはじまる前の感染拡大の初期、僕がバンコクでの日々をこのブログで書いたところ、多くの批判に晒された。そして、海外への旅を発表する場は忽然と消えてしまった。旅の話を書いても、原稿料が出ない状況になってしまったのだ。
それでも僕は旅に出た。各国のルールを守りながら、できる限りの注意を払った旅だったが、それは僕の自己責任の世界だった。そこにカメラマンを引き込むわけにはいかなかった。
そんなコロナ禍が過ぎ去ろうとしているなかで、ようやくカメラマンが同行する旅が戻ってきた。
3年ぶりである。
若い頃、原稿を書く担当とカメラマンはまったく違う分野だった。取材はカメラマンと行くことが当然のことだった。しかしその後、カメラ機材もよくなり、原稿担当が写真を撮るという流れができてきた。僕はその風潮に反発し、カメラマンが同行する旅をさせてもらっていた。それができたのは、僕が書く本がある程度売れていたからだ。新聞社や出版社にしたら、カメラマンのギャランティを払っても……と判断してくれた。ありがたいことだった。
しかしコロナ禍はそれを許してくれなかった。僕はメモを手に、首からはカメラをかけながら飛行機に乗った。
なんとかこなすことができた?
今回、カメラマンと同行して気づいた。こなすことなどなにもできてはいなかった。
動作として写真を撮ることは、それほど時間がかかることではない。しかし1枚の写真には、さまざまな思いが絡んでくる。シチュエーションを選ぶ問題もあるが、天気や太陽の向きも考えなくてはならない。写真に慣れていないということもあるが、コロナ禍の旅を振り返ると、写真に翻弄されていた旅だったと改めて思う。そしてどんな内容の原稿を書くかという葛藤が薄っぺらなものになっていた……と。
金門島は難しい島だ。台湾と中国の関係はかなりねじれている。そのなかの金門島は、多くの矛盾が詰まっている。それを考えると収集がつかなくなる。そんな悩みに入り込めるのは、写真を撮るという負担がないからだと気づいた。
ひとりででかけたコロナ禍の旅は、1日が終わると、なにか仕事をやり終えたような気分に陥っていた。これではいい原稿は書けない。写真も中途半端になる。
コロナ禍を経て、新聞社や出版社の台所は厳しさを増している。原稿を書く担当が写真を撮る流れはより進んでいく。
作品が劣化していくということは、きっとこういうことなのだ。それを打開するには、僕がいい原稿を書くしかない。金門島の旅はなかなか重い。
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Posted by 下川裕治 at 10:35│Comments(1)
この記事へのコメント
今月3月は、下川先生のラジオ番組があるので楽しみです(^_^)
Posted by マロンクリーム at 2023年03月11日 21:30
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