2024年04月08日
満開の桜が心に刺さる
東京の桜が咲いた。4月4日が満開ということだが、桜は木によって開花時期が若干違う。我が家の2軒隣の教会の桜は、いまが満開である。
今日、家族と一緒に花見に出かけた。新宿御苑の桜を見てきた。入場は予約制という制限がかかっていたが、園内はかなりの人がやってきていた。天気もよかった。
ぼんやり春の空の下の桜を眺めながら1年前を思い出していた。3月初旬、マスクをつけることが個人の判断にゆだねられるようになった。そして花見の名所の上野公園などでの飲食を伴う飲酒が許可された。
4年ぶりの花見……。ニュースサイトにはそんな記事が躍っていた。
コロナ禍がようやく終わったわけだ。そして5月には、新型コロナウイルスは5類になり、正式にコロナ禍は終わった。
新宿御苑で弁当を広げる人たちの顔は、春の日を浴びて穏やかだ。1年前、まだそんな状態だったことがすっかり消えている。まるで台風一過ならぬ、コロナ一過だったかのように。
人間は鈍感な生き物だと思う。いや、鈍感を装うことで、ウイルスに怯え、行動が制限される時代を忘れようとしている。そういう装置が心の裡に働いている気がする。
しかし歴史や科学はそういかない。再び新しいウイルスに襲われたら、どう対処していくか……。その検証をしなくてはならない。
しかし人々は、あの時代を忘れたいかのように日常のなかに埋まろうとする。満開の桜にカメラを向け、桜をバックに写真に収まっていく。
4月5日に『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)が発売になった。
https://qr.paps.jp/qT7y9
さっそく読んでくれた知人から、こんなメールが届く。
「高尾山に登る章はぐっときました。新型コロナウイルスが席巻していたときの、あの閉塞感、たしかにそうだったと」
コロナの嵐が吹き荒れていたとき、僕は毎週のように高尾山に登っていた。海外に出ることが難しくなっていた。旅の本も出版されない……。そのなかで、僕は山に登るという行為に没頭した。県をまたぐ行動にも制限がかかり、ぎりぎりの東京都内の山だった。そのなかで、高尾山は僕のなかで名山になっていったという話だ。
記憶から消したい過去をほじくり返すつもりはない。僕のひとり旅を描こうとすると、避けて通ることができない話だったのだ。
物書きというのは因果な職業だと思う。コロナ禍が過ぎ、戻った日常を書こうとしたとき、あの息が詰まるような時間にどうしても触れざるをえないのだ。
満開の新宿御苑の桜を、なにごともなかったかのように眺めることができない。その美しさが心に刺さってしまう。浮かない顔で桜を見あげる姿は「陰キャ」にしか映らない。みごとな桜に、心は動いているのだが。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
今日、家族と一緒に花見に出かけた。新宿御苑の桜を見てきた。入場は予約制という制限がかかっていたが、園内はかなりの人がやってきていた。天気もよかった。
ぼんやり春の空の下の桜を眺めながら1年前を思い出していた。3月初旬、マスクをつけることが個人の判断にゆだねられるようになった。そして花見の名所の上野公園などでの飲食を伴う飲酒が許可された。
4年ぶりの花見……。ニュースサイトにはそんな記事が躍っていた。
コロナ禍がようやく終わったわけだ。そして5月には、新型コロナウイルスは5類になり、正式にコロナ禍は終わった。
新宿御苑で弁当を広げる人たちの顔は、春の日を浴びて穏やかだ。1年前、まだそんな状態だったことがすっかり消えている。まるで台風一過ならぬ、コロナ一過だったかのように。
人間は鈍感な生き物だと思う。いや、鈍感を装うことで、ウイルスに怯え、行動が制限される時代を忘れようとしている。そういう装置が心の裡に働いている気がする。
しかし歴史や科学はそういかない。再び新しいウイルスに襲われたら、どう対処していくか……。その検証をしなくてはならない。
しかし人々は、あの時代を忘れたいかのように日常のなかに埋まろうとする。満開の桜にカメラを向け、桜をバックに写真に収まっていく。
4月5日に『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)が発売になった。
https://qr.paps.jp/qT7y9
さっそく読んでくれた知人から、こんなメールが届く。
「高尾山に登る章はぐっときました。新型コロナウイルスが席巻していたときの、あの閉塞感、たしかにそうだったと」
コロナの嵐が吹き荒れていたとき、僕は毎週のように高尾山に登っていた。海外に出ることが難しくなっていた。旅の本も出版されない……。そのなかで、僕は山に登るという行為に没頭した。県をまたぐ行動にも制限がかかり、ぎりぎりの東京都内の山だった。そのなかで、高尾山は僕のなかで名山になっていったという話だ。
記憶から消したい過去をほじくり返すつもりはない。僕のひとり旅を描こうとすると、避けて通ることができない話だったのだ。
物書きというのは因果な職業だと思う。コロナ禍が過ぎ、戻った日常を書こうとしたとき、あの息が詰まるような時間にどうしても触れざるをえないのだ。
満開の新宿御苑の桜を、なにごともなかったかのように眺めることができない。その美しさが心に刺さってしまう。浮かない顔で桜を見あげる姿は「陰キャ」にしか映らない。みごとな桜に、心は動いているのだが。
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Posted by 下川裕治 at 16:11│Comments(0)
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