2024年06月24日
コロナ禍とウクライナ侵攻の洗礼を受けた本
6月27日にトークイベントがある。
http://www.nomad-books.co.jp/
発売になった『シニアひとり旅 ロシアから東欧・南欧へ』を軸に話をしようと思う。
この本は『シニアひとり旅』シリーズの3冊目になる。1冊目がアジア編、2冊目がインド、ネパールからシルクロード編である。そしてロシア、東欧・南欧と進んだのだが、ほぼ書きあげたところで、世界は新型コロナウイルスが引き起こしたパンデミックに突入してしまう。コロナ禍である。
旅の本を出版するという気運は、ウイルスへの不安の前で吹き飛んでいってしまった。コロナ禍とはいえ、旅が完全に封印されたわけではなかった。実際、僕はコロナの嵐が吹き荒れている時期、PCR検査や隔離に振りまわされながら、アジアや世界一周に旅に出ている。それは旅行作家の意地のようなところがあったが。
もちろんその旅は本にはならなかった。いや、はじめから本になることなど考えてはいなかった。
旅は不要不急のものになった。旅の前に、人々は感染を防ぎ、命を守らなくてはならなかった。その空気のなか、自分の責任で旅に出ることはできたが、本を出版することは別の世界だった。旅の本は書店の棚から消えていった。
出版社に届けていた原稿は編集者のデスクに置かれたままになった。
そしてこの原稿はさらなる逆風を受けることになる。ロシアがウクライナへの侵攻をはじめたのだ。この本の3分の1ぐらいはシベリア鉄道の旅を書き込んでいた。
昨年の夏、原稿を預けた編集者から連絡が入った。彼とはいつも、中野の台湾料理屋で打ち合わせをする。原稿の束がテーブルに置かれた話は、「出版したい」、というものだった。
「手を入れてもらうし、長い『はじめに』や『あとがき』が必要だとは思う。でも、いける予感がする」
本になることを諦めていた僕は、それから1ヵ月悩んだ。シリーズの3作目という理由ではなかった。コロナ禍とウクライナ侵攻があるからこその出版だった。
僕の旅は東西冷戦時代にはじまった。バックパッカー風の旅は、社会主義圏では難しい時代だった。やがて東西の緊張が緩んでいくなかで、僕の旅は広がっていった。
考えてみれば、若い頃、僕は自由に訪ねることが難しい国の本ばかり読んでいた。旧ソ連、中国、東欧、中東……。編集者はだからこそ、「いける予感がする」と口にしたのかもしれなかった。
コロナ禍、そしてウクライナ侵攻を受け、旅の環境は変わった。中国は日本人の短期旅行者にもビザを課すようになった。日本からロシアに向かう飛行機の運航は停止された。その部分をみると、旅の環境は一気に40年ほど前に戻ったことになる。いまの僕は、自由に旅をすることができなくなったエリアへの旅ばかり考えている。
旅への渇望はそんななかから生まれてくるものなのか。自由に旅ができるという前提のなかで僕は本を書きつづけてきた。発刊された今回の本は、その状況が変わったことを印象づける。コロナ禍とウクライナ侵攻の洗礼を浴びた本の発刊……。トークイベントもその色合いが少し変わる気がする。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
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発売になった『シニアひとり旅 ロシアから東欧・南欧へ』を軸に話をしようと思う。
この本は『シニアひとり旅』シリーズの3冊目になる。1冊目がアジア編、2冊目がインド、ネパールからシルクロード編である。そしてロシア、東欧・南欧と進んだのだが、ほぼ書きあげたところで、世界は新型コロナウイルスが引き起こしたパンデミックに突入してしまう。コロナ禍である。
旅の本を出版するという気運は、ウイルスへの不安の前で吹き飛んでいってしまった。コロナ禍とはいえ、旅が完全に封印されたわけではなかった。実際、僕はコロナの嵐が吹き荒れている時期、PCR検査や隔離に振りまわされながら、アジアや世界一周に旅に出ている。それは旅行作家の意地のようなところがあったが。
もちろんその旅は本にはならなかった。いや、はじめから本になることなど考えてはいなかった。
旅は不要不急のものになった。旅の前に、人々は感染を防ぎ、命を守らなくてはならなかった。その空気のなか、自分の責任で旅に出ることはできたが、本を出版することは別の世界だった。旅の本は書店の棚から消えていった。
出版社に届けていた原稿は編集者のデスクに置かれたままになった。
そしてこの原稿はさらなる逆風を受けることになる。ロシアがウクライナへの侵攻をはじめたのだ。この本の3分の1ぐらいはシベリア鉄道の旅を書き込んでいた。
昨年の夏、原稿を預けた編集者から連絡が入った。彼とはいつも、中野の台湾料理屋で打ち合わせをする。原稿の束がテーブルに置かれた話は、「出版したい」、というものだった。
「手を入れてもらうし、長い『はじめに』や『あとがき』が必要だとは思う。でも、いける予感がする」
本になることを諦めていた僕は、それから1ヵ月悩んだ。シリーズの3作目という理由ではなかった。コロナ禍とウクライナ侵攻があるからこその出版だった。
僕の旅は東西冷戦時代にはじまった。バックパッカー風の旅は、社会主義圏では難しい時代だった。やがて東西の緊張が緩んでいくなかで、僕の旅は広がっていった。
考えてみれば、若い頃、僕は自由に訪ねることが難しい国の本ばかり読んでいた。旧ソ連、中国、東欧、中東……。編集者はだからこそ、「いける予感がする」と口にしたのかもしれなかった。
コロナ禍、そしてウクライナ侵攻を受け、旅の環境は変わった。中国は日本人の短期旅行者にもビザを課すようになった。日本からロシアに向かう飛行機の運航は停止された。その部分をみると、旅の環境は一気に40年ほど前に戻ったことになる。いまの僕は、自由に旅をすることができなくなったエリアへの旅ばかり考えている。
旅への渇望はそんななかから生まれてくるものなのか。自由に旅ができるという前提のなかで僕は本を書きつづけてきた。発刊された今回の本は、その状況が変わったことを印象づける。コロナ禍とウクライナ侵攻の洗礼を浴びた本の発刊……。トークイベントもその色合いが少し変わる気がする。
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Posted by 下川裕治 at 14:40│Comments(0)
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