2024年08月19日
旅に出る前はいつも心が重い
子供の頃から理解に苦しむ言葉があった。遠足や運動会の日、「昨日の夜は興奮してよく眠れなかった」という表現である。興奮という言葉の背後には、楽しみにしているといった意味合いが含まれていると思う。
災害などのトラブルで遠足や運動会が中止になったとき、テレビを観ていると、子供たちのこんなコメントが流れる。
「楽しみにしていたのに残念です」
この言葉にも僕は首を傾げる。
僕はこの種の学校のイベントを嫌っていたわけではない。ごく普通に参加している。とりたて運動能力が高いわけではないが、低いわけでもない。だからなのかもしれないが、特別の期待もなかった。つまり、楽しみにしていなかったのだ。だから「興奮して眠れなかった」という実感がわからない。
僕にとってこの種のイベントはあってもなくてもよかった。学校というものはそういうものだと思っていたから参加していたが、もし、自由参加なら、僕は休んでいたと思う。準備などが面倒なのだ。僕はそういうタイプの子供だった。
これだけ旅に出、旅行作家の肩書までいただいているのだが、いまだに旅に出る前は気分が重くなる。トラブルに巻き込まれるのではないか……と不安になる。なぜ旅に出ることを決めたのだろうと後悔する。その思いを胸に旅の準備をしなくてはならない。現地に着いてしまえば、旅の世界に没入し、「やっぱり旅に出てよかった」と思うのだが、旅立つ前はなかなか腰があがらないのだ。
その針がいちばん振れるのは山に登る前だろうか。東京の高尾山のように2、3時間登れば山頂に着く山ではなく、本格的な北アルプスになると不安は増幅する。山の場合は、筋力を含めた体力の問題になってくるから、途中でバテてしまうのではないか、といった心配に苛まれてしまう。山に行く前日は緊張する。それは楽しさなどとはほど遠く、いっそのこと山に行くことをやめてしまおうかとすら考えてしまう。
年をとるということは、筋力が弱くなっていくことだから、若い頃、よく山に登った人にかぎって心は揺れるわけだ。
しばらく前の僕がそうだった。しだいに山に登る自信がなくなり、知人から誘われても躊躇してしまう。
いまの僕の体力はどのくらいなのかがわからない。そういう測定器でもあればすっきりするのだが、山登りには精神力のようなものもかかわってくる。その兼ね合いが難しいのだ。
数年前から古道を歩くようになった。その旅は『日本ときどきアジア 古道歩き』(光文社知恵の森文庫)にまとまったが、古道といってもまちまちだ。熊野古道を歩く前は、山登りに近い緊張があった。しかし心の揺れ幅は山よりは小さい。年齢と旅の折衷案という気がしないでもない。
しかしそんな古道歩きでも、その前日は不安になる。楽しくはない。それが僕の旅というものらしい。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
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「楽しみにしていたのに残念です」
この言葉にも僕は首を傾げる。
僕はこの種の学校のイベントを嫌っていたわけではない。ごく普通に参加している。とりたて運動能力が高いわけではないが、低いわけでもない。だからなのかもしれないが、特別の期待もなかった。つまり、楽しみにしていなかったのだ。だから「興奮して眠れなかった」という実感がわからない。
僕にとってこの種のイベントはあってもなくてもよかった。学校というものはそういうものだと思っていたから参加していたが、もし、自由参加なら、僕は休んでいたと思う。準備などが面倒なのだ。僕はそういうタイプの子供だった。
これだけ旅に出、旅行作家の肩書までいただいているのだが、いまだに旅に出る前は気分が重くなる。トラブルに巻き込まれるのではないか……と不安になる。なぜ旅に出ることを決めたのだろうと後悔する。その思いを胸に旅の準備をしなくてはならない。現地に着いてしまえば、旅の世界に没入し、「やっぱり旅に出てよかった」と思うのだが、旅立つ前はなかなか腰があがらないのだ。
その針がいちばん振れるのは山に登る前だろうか。東京の高尾山のように2、3時間登れば山頂に着く山ではなく、本格的な北アルプスになると不安は増幅する。山の場合は、筋力を含めた体力の問題になってくるから、途中でバテてしまうのではないか、といった心配に苛まれてしまう。山に行く前日は緊張する。それは楽しさなどとはほど遠く、いっそのこと山に行くことをやめてしまおうかとすら考えてしまう。
年をとるということは、筋力が弱くなっていくことだから、若い頃、よく山に登った人にかぎって心は揺れるわけだ。
しばらく前の僕がそうだった。しだいに山に登る自信がなくなり、知人から誘われても躊躇してしまう。
いまの僕の体力はどのくらいなのかがわからない。そういう測定器でもあればすっきりするのだが、山登りには精神力のようなものもかかわってくる。その兼ね合いが難しいのだ。
数年前から古道を歩くようになった。その旅は『日本ときどきアジア 古道歩き』(光文社知恵の森文庫)にまとまったが、古道といってもまちまちだ。熊野古道を歩く前は、山登りに近い緊張があった。しかし心の揺れ幅は山よりは小さい。年齢と旅の折衷案という気がしないでもない。
しかしそんな古道歩きでも、その前日は不安になる。楽しくはない。それが僕の旅というものらしい。
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Posted by 下川裕治 at 11:20│Comments(0)
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