2025年02月03日
ミャンマーから届く切ない動画
僕のところには、ミャンマーや日本に住むミャンマー人から動画や写真が届く。運営しているYouTubeで、ミャンマーから届く映像を紹介しているからだ。
届く頻度には波がある。ある時期は連日のように届くのだが、なぜか2~3週間、まったくこないことがある。訊くと、ミャンマーで流れるSNSに波があるのだという。
1月下旬から、届く動画や写真が急に増えた。そして兵士の殺害光景など、目をそむけたくなるような残虐なものが多くなった。先週はひどかった。兵士を殺害し、その死体を引きずっていく光景が届いた。その翌日、生きている兵士を木から吊るし、下からの火で焼き殺す光景を延々と映した動画がきた。火刑……火あぶりの刑といわれるものだ。村の住民が遠巻きに見つめている。
「家族を兵士に殺された人々が激高し、その兵士を捕まえて火刑にした」
そんな説明を受けた。
映像はすべてフェイスブックで送られてくる。なぜこんな映像が拡散するのだろうか。
「アメリカの政権がトランプになってからだっていう噂です。フェイスブックの審査が急に緩くなったってという話です」
トランプ大統領とフェイスブックの審査基準に、なにかの関連性があるのだろうか。
しかし動画に映し出される光景はあまりに残忍だ。これを観た人たちは、ミャンマー人は残虐な民族のように思うかもしれない。
しかしそれは違う。人間というものは誰しも、残忍に人を殺すことができる因子をもっている。ミャンマーで起きていることは、それを誘引する紛争が起きているということなのだ。
人の歴史は、ある意味、殺し合いの歴史でもある。そしてその長い歴史のなかで、人を残虐な行為に走らせるノウハウを身につけてきた。戦争に近代化があるとすれば、人を殺すという精神的な負担をできるだけ減らし、残忍さを引きださないことのように思う。
たとえばドローンという武器がある。ウクライナを見ていると、それは人と人が直接対峙し、殺しあう白兵戦を避けるという視点もある。ドローン戦争という近代戦争が一気に進んだようにも映る。無人のドローンが飛来し、爆弾を落とすなり、自爆をして兵士がその犠牲になっていく。しかしドローンをコントローラーで操作する兵士は、まるでゲームで敵を撃墜したかのような空間のなかにいる。
ウクライナ、ガザ……といった戦争を比べると、ミャンマーの内戦は最も遅れた戦争といってもいい。国際社会から忘れられたような内戦は近代化が進まない。昔ながらの戦い方が踏襲される。
たとえばミャンマーの国軍が民主化を支持する村を襲い、女性や子供を拉致し、彼らを先頭に歩かせて進軍する。人間の盾である。
西部のラカイン州では、もともと対立していたラカイン族とロヒンギャの衝突の構図をつくろうとする。
国軍に反旗を翻すグループのリーダーの親を拘束し、殺害して見せしめにする。
戦争というものは、基本的には人と人の殺し合いだから、いくら近代化しても、憎しみは生まれる。しかし古典的な戦闘がつづくミャンマーでは、より鮮明に、憎しみあう光景を目にしてしまうのだ。
国軍は中国とロシアの支援を得ているが、民主派や民族派への国際社会の反応は鈍い。泥沼の内戦はこれからもつづいていく。ミャンマーの人々の間に生まれる憎しみの構造はこれからもつくられていく。
今日もいくつかの映像が送られてきた。その内容はやはり切ない。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
届く頻度には波がある。ある時期は連日のように届くのだが、なぜか2~3週間、まったくこないことがある。訊くと、ミャンマーで流れるSNSに波があるのだという。
1月下旬から、届く動画や写真が急に増えた。そして兵士の殺害光景など、目をそむけたくなるような残虐なものが多くなった。先週はひどかった。兵士を殺害し、その死体を引きずっていく光景が届いた。その翌日、生きている兵士を木から吊るし、下からの火で焼き殺す光景を延々と映した動画がきた。火刑……火あぶりの刑といわれるものだ。村の住民が遠巻きに見つめている。
「家族を兵士に殺された人々が激高し、その兵士を捕まえて火刑にした」
そんな説明を受けた。
映像はすべてフェイスブックで送られてくる。なぜこんな映像が拡散するのだろうか。
「アメリカの政権がトランプになってからだっていう噂です。フェイスブックの審査が急に緩くなったってという話です」
トランプ大統領とフェイスブックの審査基準に、なにかの関連性があるのだろうか。
しかし動画に映し出される光景はあまりに残忍だ。これを観た人たちは、ミャンマー人は残虐な民族のように思うかもしれない。
しかしそれは違う。人間というものは誰しも、残忍に人を殺すことができる因子をもっている。ミャンマーで起きていることは、それを誘引する紛争が起きているということなのだ。
人の歴史は、ある意味、殺し合いの歴史でもある。そしてその長い歴史のなかで、人を残虐な行為に走らせるノウハウを身につけてきた。戦争に近代化があるとすれば、人を殺すという精神的な負担をできるだけ減らし、残忍さを引きださないことのように思う。
たとえばドローンという武器がある。ウクライナを見ていると、それは人と人が直接対峙し、殺しあう白兵戦を避けるという視点もある。ドローン戦争という近代戦争が一気に進んだようにも映る。無人のドローンが飛来し、爆弾を落とすなり、自爆をして兵士がその犠牲になっていく。しかしドローンをコントローラーで操作する兵士は、まるでゲームで敵を撃墜したかのような空間のなかにいる。
ウクライナ、ガザ……といった戦争を比べると、ミャンマーの内戦は最も遅れた戦争といってもいい。国際社会から忘れられたような内戦は近代化が進まない。昔ながらの戦い方が踏襲される。
たとえばミャンマーの国軍が民主化を支持する村を襲い、女性や子供を拉致し、彼らを先頭に歩かせて進軍する。人間の盾である。
西部のラカイン州では、もともと対立していたラカイン族とロヒンギャの衝突の構図をつくろうとする。
国軍に反旗を翻すグループのリーダーの親を拘束し、殺害して見せしめにする。
戦争というものは、基本的には人と人の殺し合いだから、いくら近代化しても、憎しみは生まれる。しかし古典的な戦闘がつづくミャンマーでは、より鮮明に、憎しみあう光景を目にしてしまうのだ。
国軍は中国とロシアの支援を得ているが、民主派や民族派への国際社会の反応は鈍い。泥沼の内戦はこれからもつづいていく。ミャンマーの人々の間に生まれる憎しみの構造はこれからもつくられていく。
今日もいくつかの映像が送られてきた。その内容はやはり切ない。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
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Posted by 下川裕治 at 10:42│Comments(0)
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