2010年09月06日
やはりアジアは広かった
辛い旅が続いている。
日本を発って2週間が過ぎた。
中国のウルムチから2泊3日、列車に揺られ、カザフスタンのアルマトイ。そこからさらに2泊3日、ロシア製の列車でウズベキスタンのタシケント。やっとここまで来たのだが、全行程の半分を少し超えた程度だ。
アジアはやたら広い。
延々と続くステップを列車は粘り強く走り続ける。しかし車内は大変である。
まず暑い。ウルムチが思っていたより快適で、「これは楽かも」と期待を抱いてしまったが、西に向かうにつれて気温がぐんぐんとあがる。日中の気温は40度を超え、冷房のない車内は炎熱状態になっていく。コンパートメントのなかにいることができず、少しでも風の通る廊下に立ち続けるしかない。座る場所はどこにもなく、ただ、人の気配のないステップを眺めながら立って数時間。足が疲れてベッドに戻るが、やはり暑くてまた廊下に戻る。そんな旅が5日も続いた。
これでもウルムチから最も早い日程でタシケントに辿り着いた。日本で得た情報では、アルマトイからタシケントまでの直通列車はないということだった。しかしアルマトイの駅で聞くと、ロシアのノボリイビスクからタシケントに向かう列車に乗ることができるという。幸運だったが、それでもこれだけの日数がかかってしまう。
やはりアジアは広い。
救いは朝の気温だけである。乾燥地帯の寒暖差は激しく、朝方になると20度を下まわるような涼しさになる。深夜、小さな駅に停車すると、虫の鳴き声が聞こえてくる。これでも夏は終わりかけているのだ。
これから北上を開始する。というのも、西のトルクメニスタンからイランに抜けるルートは鉄道がつながっていない。カスピ海をフェリーで渡ることはできるが、列車の旅ではない。残されたルートは、タシケントから北に向かい、再びカザフスタンに入り、カスピ海の北端をまわっていくルートになる。
昨日、タシケント駅で、アトゥラウという街までの切符を買うことができた。そこまで2泊3日である。その先はうまくつながるかわからない。ここはウズベキスタンで、カザフスタンの列車になってしまうのだ。
はたしてスムーズにロシアのアストラハンに抜けることができるのか。でたとこ勝負の旅でもある。そして治安が安定しないカフカス地方を通過して、アゼルバイジャンのバクーを目指すことになる。
こんな地名を聞かされても、いったいどこなのか想像もつかないかもしれない。僕にしても、はじめての土地ばかりだ。カスピ海周辺や中央アジアの地図を見てもらうしかないルートである。
今夜、再び、ロシア製の古びた列車に乗ることになる。明日はまた、40度を超える熱気に包まれるのだろう。そう考えただけで気が重くなってくる。
(タシケント。2010/9/3)
日本を発って2週間が過ぎた。
中国のウルムチから2泊3日、列車に揺られ、カザフスタンのアルマトイ。そこからさらに2泊3日、ロシア製の列車でウズベキスタンのタシケント。やっとここまで来たのだが、全行程の半分を少し超えた程度だ。
アジアはやたら広い。
延々と続くステップを列車は粘り強く走り続ける。しかし車内は大変である。
まず暑い。ウルムチが思っていたより快適で、「これは楽かも」と期待を抱いてしまったが、西に向かうにつれて気温がぐんぐんとあがる。日中の気温は40度を超え、冷房のない車内は炎熱状態になっていく。コンパートメントのなかにいることができず、少しでも風の通る廊下に立ち続けるしかない。座る場所はどこにもなく、ただ、人の気配のないステップを眺めながら立って数時間。足が疲れてベッドに戻るが、やはり暑くてまた廊下に戻る。そんな旅が5日も続いた。
これでもウルムチから最も早い日程でタシケントに辿り着いた。日本で得た情報では、アルマトイからタシケントまでの直通列車はないということだった。しかしアルマトイの駅で聞くと、ロシアのノボリイビスクからタシケントに向かう列車に乗ることができるという。幸運だったが、それでもこれだけの日数がかかってしまう。
やはりアジアは広い。
救いは朝の気温だけである。乾燥地帯の寒暖差は激しく、朝方になると20度を下まわるような涼しさになる。深夜、小さな駅に停車すると、虫の鳴き声が聞こえてくる。これでも夏は終わりかけているのだ。
これから北上を開始する。というのも、西のトルクメニスタンからイランに抜けるルートは鉄道がつながっていない。カスピ海をフェリーで渡ることはできるが、列車の旅ではない。残されたルートは、タシケントから北に向かい、再びカザフスタンに入り、カスピ海の北端をまわっていくルートになる。
昨日、タシケント駅で、アトゥラウという街までの切符を買うことができた。そこまで2泊3日である。その先はうまくつながるかわからない。ここはウズベキスタンで、カザフスタンの列車になってしまうのだ。
はたしてスムーズにロシアのアストラハンに抜けることができるのか。でたとこ勝負の旅でもある。そして治安が安定しないカフカス地方を通過して、アゼルバイジャンのバクーを目指すことになる。
こんな地名を聞かされても、いったいどこなのか想像もつかないかもしれない。僕にしても、はじめての土地ばかりだ。カスピ海周辺や中央アジアの地図を見てもらうしかないルートである。
今夜、再び、ロシア製の古びた列車に乗ることになる。明日はまた、40度を超える熱気に包まれるのだろう。そう考えただけで気が重くなってくる。
(タシケント。2010/9/3)
Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(1)
この記事へのコメント
やはり、「中学地図帳」を見た。
キルギスのビシュケクは、中国の西端の都市喀什(カシュガル)とほぼ同じ経度。すでに、インドを通りいすぎてパキスタンと同じ軽度の位置。タシケントはウズベキスタンはさらに西にある。カザフスタンの「アトゥラウ」は、カスピ海の最北端「カスピ海周辺低地」と表記されていた。位置を見ると、すでにイラクのバグダッドに近づいている。やはり、ずいぶん遠くへ行ったものだとわかる。
このブログは、そんな遠くの情報を知らせてくれるのだ。
地図帳から初めて知る地名を紹介いただき感謝します。
キルギスのビシュケクは、中国の西端の都市喀什(カシュガル)とほぼ同じ経度。すでに、インドを通りいすぎてパキスタンと同じ軽度の位置。タシケントはウズベキスタンはさらに西にある。カザフスタンの「アトゥラウ」は、カスピ海の最北端「カスピ海周辺低地」と表記されていた。位置を見ると、すでにイラクのバグダッドに近づいている。やはり、ずいぶん遠くへ行ったものだとわかる。
このブログは、そんな遠くの情報を知らせてくれるのだ。
地図帳から初めて知る地名を紹介いただき感謝します。
Posted by みなみやま at 2010年09月14日 20:47
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