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ナムジャイブログ

2010年10月04日

ロシアを脱出にた先にあったバクーバブル

 アストラハンに戻った僕らは、オーバーステイというトラブルに巻き込まれることになる。僕らのミスに端を発したものだったが、そのいきさつは、とてもこのボリュームでは書ききれることではない。やがてこの旅は本にまとまるので、そちらで読んでもらうことにして、旅を進めることにしよう。
 ロシア出国拒否に遭った僕らは、飛行機でアゼルバイジャンのバクーに出るしかなかった。午前4時、42人乗りというプロペラ機は、アストラハンの空港をのろのろと飛び立った。乗客は9人しかいなかった。
 さして離発着便が多くないアストラハンの空港で、なぜ午前4時にスケジュールを設定したのか、首を傾げてしまう便である。もっといい時間帯なら、少しは乗客も増えると思うのだが。
 バクーの空港に着いたのは午前6時だった。時差の関係で午前7時と教えられたが、まだ暗い。やっと昇りはじめた朝日を眺めながらバクー市内に入った。
 戸惑っていた。
 僕は13年前、この街を訪ねていた。旧ソ連から独立してそれほど年数が経ってはいなかった。石造りの建物には、ソ連軍と戦った弾痕が生々しく残っていた。雑駁な街はイラン人を思わせる顔つきの人々がひしめいていた。
 ところが空港からの道は整備され、1000年も昔からあるという旧市街は、みごとなばかりに修復されていた。もう、一人前の観光地である。
 その背後には高層ビルが並び、建設中のビルもあちこちに見える。中心街にはヨーロッパのブランドショップが並んでいる。
 バクーバブル──。
 僕は何度もこの言葉をかみしめながら街を歩いた。
 石油だった。カスピ海油田をめぐって、世界の金が流れ込んでいた。カスピ海の浜は緑豊かな公園になり、格好のデートコースになっていた。ロシアを脱出した僕らは、居場所すらみつからないような感覚に襲われるのである。
 街には物資が溢れている。夕方になると、公園のなかのテラスに男たちが集まってくる。ラマダン中だというのに、そんなことは別世界のことのようにビールを呷るイスラム教徒の男たち。
 その自由さに、僕は改めて、ロシアを抜けたことを確認する。カスピ海の風に吹かれて飲むビールはなかなかうまい。
         (バクー。2010/9/15)


Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(3)
この記事へのコメント
下川様
いつ帰国ですか?
Posted by タニ at 2010年10月04日 12:27
中朝国境を目の前にした時、国境を陸続きで越える難しさを感じた。
中央アジア?のアゼルバイジャンという遠い国は知らなくても、カスピ海とバクーと油田は知っていたと思う。
しかし、私自身のその知識は、かつてのソ連の15共和国時代のままだったようだ。
ソ連崩壊後の激しい資源争いが人々を巻き込み、国境を人々が行き来することに壁を作る。
その中に、遠い東アジアからの旅人は巻き込まれてもすぐには反応できなくて当然だ。
早朝の飛行機で国境を無事越えたことに安心を覚えました。
しかし、まだ先があるのですね。
新しい便りをお待ちします。
Posted by みなみやま at 2010年10月07日 08:00
おつかれさまです。

一息ついてのビールは、とても感慨

深いものと、思われます。

 カスピ海の風や情景の記事の出版

を楽しみにしてます。
Posted by 高島 浩 at 2010年10月11日 21:56
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