2011年01月17日
カンボジアが中国に染まっていく
久しぶりにカンボジアに行ってきた。前回訪ねたときから、そう1年半ほどの月日が経っていた。
最近の僕のカンボジアは、もっぱらコンポンチャムローン村である。湖の端に日本人の老夫婦が家を建てて住んでいる。そこにお世話になるっている。
高床式の家で、湖が目の前に広がる。それを眺めているだけの日々である。
これがまったく飽きない。夕方になると、小船が出て、村人が魚を獲る。その向こうには水田が広がる。それを眺めているだけで1日が終わってしまう。
この家には電気がなかった。自家発電の灯りでビールを飲む。チンチョウやトッケイが鳴き、うるさいほどの虫の声があたりを包む。ときには蛍がふらふらと舞う。それを眺めながら夜が更けていく。
プノンペンから直線距離で18キロしかない。夜になると、プノンペンの方向がうっすらと明るくなるほどの距離である。
しかしこの村に行くのはなかなか大変だった。ラーンと呼ばれるトラックの荷台に乗り、未舗装の道をがたがたと進む。途中にメコンの支流があり、そこをフェリーで渡る。乾季に行くと、砂埃で体や髪が真っ白になる。雨季になると、道はぬかるみ、トラックはのろのろと進むしかない。
そう、いつも3時間はかかっただろうか。
しかし1年半ぶりに訪ねると、その道が一変していた。川に大きな橋が架かったのだ。同時にプノンペンからの道は舗装工事が終わっていた。村まで舗装された道を車が走るようになったのだ。時間も1時間に短縮された。砂埃もない。荷台の手すりにしっかりつかまっていないと座席から飛び出してしまうような揺れもない。
村に着いたときは、なにか拍子抜けしたような感覚だった。
村は電気も来ていた。夕方になると、皆が使うのか、停電がときどきおきるが、やはり電気は偉大である。
この老夫婦の家には、以前、冷蔵庫がなかった。自家発電の電気では冷蔵庫までまかなえなかった。毎朝、氷を買いにいき、それを入れたクーラーボックスが冷蔵庫代わりだった。今回訪ねると、立派な冷蔵庫が台所にどんと置かれていた。電子レンジも入った。突然の電化生活。やはり電気は偉大である。
新しく入った電化製品はどれも中国製だった。プノンペンで買うとそういうことになってしまうらしい。
橋をつくったのも中国だったという。いまでも工事が行われているが、工事中という表示には中国語が躍る。カンボジアの近代化は、そのすべてが中国に負っているような気配すらあるのだ。
新しくできた道路の周りは、これから中国の会社の工場が建っていくのかもしれない。カンボジアの農村に入り込む中国のパワーを目の当たりにすると、そんな気になってくるのだ。
日本の影はどんどん薄くなってきている。この村に向かうトラックの発着所は、かつて日本がつくった日本橋のすぐ近くである。もうそれぐらいしか、日本はみつからないような気になってくる。
東南アジアはそんな時代を迎えているらしい。
(2011/1/17)
最近の僕のカンボジアは、もっぱらコンポンチャムローン村である。湖の端に日本人の老夫婦が家を建てて住んでいる。そこにお世話になるっている。
高床式の家で、湖が目の前に広がる。それを眺めているだけの日々である。
これがまったく飽きない。夕方になると、小船が出て、村人が魚を獲る。その向こうには水田が広がる。それを眺めているだけで1日が終わってしまう。
この家には電気がなかった。自家発電の灯りでビールを飲む。チンチョウやトッケイが鳴き、うるさいほどの虫の声があたりを包む。ときには蛍がふらふらと舞う。それを眺めながら夜が更けていく。
プノンペンから直線距離で18キロしかない。夜になると、プノンペンの方向がうっすらと明るくなるほどの距離である。
しかしこの村に行くのはなかなか大変だった。ラーンと呼ばれるトラックの荷台に乗り、未舗装の道をがたがたと進む。途中にメコンの支流があり、そこをフェリーで渡る。乾季に行くと、砂埃で体や髪が真っ白になる。雨季になると、道はぬかるみ、トラックはのろのろと進むしかない。
そう、いつも3時間はかかっただろうか。
しかし1年半ぶりに訪ねると、その道が一変していた。川に大きな橋が架かったのだ。同時にプノンペンからの道は舗装工事が終わっていた。村まで舗装された道を車が走るようになったのだ。時間も1時間に短縮された。砂埃もない。荷台の手すりにしっかりつかまっていないと座席から飛び出してしまうような揺れもない。
村に着いたときは、なにか拍子抜けしたような感覚だった。
村は電気も来ていた。夕方になると、皆が使うのか、停電がときどきおきるが、やはり電気は偉大である。
この老夫婦の家には、以前、冷蔵庫がなかった。自家発電の電気では冷蔵庫までまかなえなかった。毎朝、氷を買いにいき、それを入れたクーラーボックスが冷蔵庫代わりだった。今回訪ねると、立派な冷蔵庫が台所にどんと置かれていた。電子レンジも入った。突然の電化生活。やはり電気は偉大である。
新しく入った電化製品はどれも中国製だった。プノンペンで買うとそういうことになってしまうらしい。
橋をつくったのも中国だったという。いまでも工事が行われているが、工事中という表示には中国語が躍る。カンボジアの近代化は、そのすべてが中国に負っているような気配すらあるのだ。
新しくできた道路の周りは、これから中国の会社の工場が建っていくのかもしれない。カンボジアの農村に入り込む中国のパワーを目の当たりにすると、そんな気になってくるのだ。
日本の影はどんどん薄くなってきている。この村に向かうトラックの発着所は、かつて日本がつくった日本橋のすぐ近くである。もうそれぐらいしか、日本はみつからないような気になってくる。
東南アジアはそんな時代を迎えているらしい。
(2011/1/17)
Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(3)
この記事へのコメント
どんなに近代化しても、どんなに便利になっても、その国の「らしさ」だけは失わないでほしい。それとも、その「らしさ」を失うことすら、時代のうねりの中での必然でしょうか。それにしても、私が忌み嫌う中国に、愛するカンボジアが席巻されているという事実が狂おしい程、腹立たしい。
Posted by としこちゃん at 2011年01月18日 09:00
思い返せば十数年前。
兵士が護衛する宿に泊まり、薬局で買ったモルヒネを打ちながら蚊帳の中で眠った。
ポルポトに破壊された街だったが、子供たちの目がきらきら輝いている、それだけで幸せな気持ちになれた。
あれから下川さんに触発されてタイに通った。
先日プーケットに行って愕然とした。
もうそこにはタイというものはなかった。
ノーンカーイへはまた行きたいと思っています。
下川さんは旅へのトキメキをまだ失わずに持っていますか?
どうも、私は自信がなくなってきました。
と言いながらもうすぐ台北へ行ってきます。
もちろん、基隆へも・・・・・
兵士が護衛する宿に泊まり、薬局で買ったモルヒネを打ちながら蚊帳の中で眠った。
ポルポトに破壊された街だったが、子供たちの目がきらきら輝いている、それだけで幸せな気持ちになれた。
あれから下川さんに触発されてタイに通った。
先日プーケットに行って愕然とした。
もうそこにはタイというものはなかった。
ノーンカーイへはまた行きたいと思っています。
下川さんは旅へのトキメキをまだ失わずに持っていますか?
どうも、私は自信がなくなってきました。
と言いながらもうすぐ台北へ行ってきます。
もちろん、基隆へも・・・・・
Posted by mos. at 2011年02月27日 14:05
遅くなりましたがカンボジアの近況をありがとうございました。老夫婦の甥っ子です。私がかみさんと2008年に訪れたときも、メコン川をはしけで渡り、はげしい凹凸の道に揺られ彼の地へ行きました。激変ですね。FacebookとTwitterにリンクはらせて頂きました。
さて、中国はベトナムを介してカンボジアまで準中華圏を拡大させてきているのでしょうか。海を持っている分、ラオスよりプライオリティが高いのでしょう。やがて、インドネシア、マレージア、バングラデシュ等のイスラム圏と対峙することになりますね。その先にはインドがいます。東南アジアは混沌の時代に入りつつ有りますね。
さて、中国はベトナムを介してカンボジアまで準中華圏を拡大させてきているのでしょうか。海を持っている分、ラオスよりプライオリティが高いのでしょう。やがて、インドネシア、マレージア、バングラデシュ等のイスラム圏と対峙することになりますね。その先にはインドがいます。東南アジアは混沌の時代に入りつつ有りますね。
Posted by morihiko at 2011年03月21日 11:43
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