インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2011年03月07日

ビジネスマンの性

 ひとりの元商社マンが亡くなった。境克彦。癌だった。
 彼はバンコクで新しい事業を立ち上げようとしていた。バンコクのロンポーマンションにレンタルオフィスを開設し、そこを中心にさまざまな展開を考えていた。
 会ったのは2ヵ月ほど前だろうか。1ヵ月前にも彼のオフィスを訪ねたが、体の節々が痛いと訴え、寝入っていた。そのすぐ後、定期検診を繰り上げる形で日本に帰ったが、バンコクに戻ることはできなかった。
 先週、見舞いに行こうと、奥さんに連絡をとると、すでに意識がない状態だった。
 病院の近くの喫茶店で奥さんに会った。聞いた彼の半生は、日本のビジネスマンそのものだった。
 境がタイに赴任したのは、1973年、34歳のときだった。日本経済がまだ輝いている頃である。僕がはじめてバンコクに向かったのは、その3年後。まだ大学生だった。
 日本人の知り合いに、シーロム通りやタニヤ通りを案内してもらった。そこで出会った日本人ビジネスマンは、体からエネルギーをパチパチと放電しているかのようだった。会社の海外進出を背負う男たちは、そのプレッシャーをものともしないようなたくましさをみなぎらせていた。
 毎晩のようにタニヤ通りで酒を飲み、翌朝は、酒臭い息を吐きながらも営業に走っていくようなタイプが多かった。
 ひねた学生だった僕は、そんな姿を斜に構えて眺めていたが、日本の経済は、彼らのエネルギーに支えられていたのだ。
 境はバンコクに13年も駐在した。そして日本に帰国後、選択退職制に応募し、会社を辞めてしまう。49歳のときだった。
 当時、元気なビジネスマンのなかに、そんなタイプがいた。現地では、社長業のような責務をこなし、さまざまな判断を自分で下してきた。しかし、東京の本社に戻ると、中間管理職である。なにかをしようと思っても、いくつかの手続きを踏み、会議を重ねなければならない。「こんなまどろっこしいことをやってられるか」というタイプは、会社という組織からスピンアウトしていったのだ。すでに勢いを失いはじめていた日本企業という経済環境もあった。
 境はバンコクに戻る。会社を立ち上げ、それから20年近い日々をタイを舞台に動きまわることになる。
 癌が発覚したのは、60代の後半だった。バンコクで手術を受ける。リハビリのために2年ほど日本に戻った。しかしその間に癌の転移がみつかった。手術で取り除いたものの、そのとき、境は腹をくくったような気がする。
 再びバンコクへ行く。
 そして新しい会社を立ち上げるのだ。静かに死んでいくことを選ばなかった、あの時代のビジネスマンの性。あの時代は、確実に終わりつつある。
 


Posted by 下川裕治 at 12:00│Comments(2)
この記事へのコメント
私が就職した年は昭和60年だ。バブルの真っ最中で仕事は忙しく、与えられた目の前の事をこなすので精一杯だった。そんな日々の中で少しずつ狂気は進行していった。8年も働いていると、りっぱな鬱病になっていた。私は会社を辞めた。病気になってつくづく感じるが、精神を侵されず、たとえば普通に電車に乗っている人がいることを遠い世界のように感じる。高度経済成長をささえた親のような世代を、とても強い人たちだと思う。と同時に幸せな時期に働けたんじゃないかなとも思う。癌で他界するのも不幸だが、鬱で社会的に抹殺されるのもとてもつらいものだ。私はこの世に在って無い存在だとおもっている。
Posted by akya at 2011年03月08日 18:04
身体中からエネルギーを発して世界中を闊歩する日本人ビジネスマンがいた時代…今となっては夢か幻のようです。私は昭和42年生まれ。モーレツサラリーマンに育てて貰った世代です。件の御老人は、ある意味生きたいように生きて幸せな人生だったのでは。あの時代は一日で例えて言うと、お昼の一番日が高い時間帯でした。思い出すと懐かしく切なく、やりきれなくなります。
Posted by としこちゃん at 2011年03月10日 20:00
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。