2011年03月14日
東北にももうじき桜の花が咲く
地震である。
そのとき、東京のオフィスにいた。昨夜は電車が停まり、中野駅まで歩いた。僕は中野駅に自転車を置いていた。
明治通り、早稲田通り……。どこも歩道は帰宅を急ぐ黒い人の群れで埋まっていた。
「二年参りのときの初詣のようだ」
一緒に歩いた事務所のスタッフがいった。
国内の携帯電話は通じないというのに、なぜかタイからの国際電話がよくかかってきた。タイ人たちは心配して電話をかけてきてくれた。どこか間延びしたようなタイ語にちょっと救われた。しかしなぜ、国際電話だけがかかってくるのだろうか。
そしていま羽田空港にいる。
これから那覇に向かう。少し前に出版した『新書 沖縄読本』にちなんだ講演を頼まれている。
昨夜、東京の街を歩きながら、神戸の震災を思い出していた。本を書くために、地震後、1ヵ月近く神戸や芦屋を駆けまわっていた。
膨大な援助物資が届けられた。その配分に市役所の職員は奔走することになる。徹夜が続いていた。
全国からさまざまなものが届く。食糧は助かるが、衣類や生活物資は膨大な負担を現場に強いてしまう。正直なところ、衣類などはそれほど必要としない。なかには、捨てようとしたものを送ってくる人もいて、まるでゴミのような袋には、送った人の感性を疑ったこともある。
何枚かの畳にも、市役所のスタッフは悩んだ。避難所の床は板だから寒い。たしかに畳はうれしいのだが、何百人もいる避難所に数枚の畳を持ち込んだときの、人々の反応を気にしたのだ。いったい誰が畳を使う権利を得たらいいのだろうか。避難民の心情は揺れている。そこに、争いの火種を持ち込むようなものではないか……。市役所のスタッフは悩んだ。
送った人はよかれと思っているのだから、その気持ちを無駄にはしたくない。しかしなかなかすんなりと配ることができないのだ。
東北地方には、今後、膨大な物資が届くだろう。
地震の前では、人間はあまりに無力だ。科学は発達し、災害への対応が整えられても、今回のような規模の地震の前では、なす術もない。あっという間に、津波が町を襲っていた。そのスピードは、人間の対応をはるかに超えていた。
どうしようもない虚しさが被災地を覆う。ときに人の人生すら左右していく。
しかし人間はたくましい。そこからなんとか立ち上がろうとする。
神戸の震災のとき、いちばんありがたかった援助物資のひとつに、花の鉢植えがあった。避難所に置かれた鉢植えに、避難民が水をあげていた。
自然の前で人は無力だ。しかし打ちひしがれた心を救ってくれるのも、また自然なのだ。人がつくったものではない。
東北にもまもなく春がくる。
被災地にももうじき桜の花が咲く。
そのとき、東京のオフィスにいた。昨夜は電車が停まり、中野駅まで歩いた。僕は中野駅に自転車を置いていた。
明治通り、早稲田通り……。どこも歩道は帰宅を急ぐ黒い人の群れで埋まっていた。
「二年参りのときの初詣のようだ」
一緒に歩いた事務所のスタッフがいった。
国内の携帯電話は通じないというのに、なぜかタイからの国際電話がよくかかってきた。タイ人たちは心配して電話をかけてきてくれた。どこか間延びしたようなタイ語にちょっと救われた。しかしなぜ、国際電話だけがかかってくるのだろうか。
そしていま羽田空港にいる。
これから那覇に向かう。少し前に出版した『新書 沖縄読本』にちなんだ講演を頼まれている。
昨夜、東京の街を歩きながら、神戸の震災を思い出していた。本を書くために、地震後、1ヵ月近く神戸や芦屋を駆けまわっていた。
膨大な援助物資が届けられた。その配分に市役所の職員は奔走することになる。徹夜が続いていた。
全国からさまざまなものが届く。食糧は助かるが、衣類や生活物資は膨大な負担を現場に強いてしまう。正直なところ、衣類などはそれほど必要としない。なかには、捨てようとしたものを送ってくる人もいて、まるでゴミのような袋には、送った人の感性を疑ったこともある。
何枚かの畳にも、市役所のスタッフは悩んだ。避難所の床は板だから寒い。たしかに畳はうれしいのだが、何百人もいる避難所に数枚の畳を持ち込んだときの、人々の反応を気にしたのだ。いったい誰が畳を使う権利を得たらいいのだろうか。避難民の心情は揺れている。そこに、争いの火種を持ち込むようなものではないか……。市役所のスタッフは悩んだ。
送った人はよかれと思っているのだから、その気持ちを無駄にはしたくない。しかしなかなかすんなりと配ることができないのだ。
東北地方には、今後、膨大な物資が届くだろう。
地震の前では、人間はあまりに無力だ。科学は発達し、災害への対応が整えられても、今回のような規模の地震の前では、なす術もない。あっという間に、津波が町を襲っていた。そのスピードは、人間の対応をはるかに超えていた。
どうしようもない虚しさが被災地を覆う。ときに人の人生すら左右していく。
しかし人間はたくましい。そこからなんとか立ち上がろうとする。
神戸の震災のとき、いちばんありがたかった援助物資のひとつに、花の鉢植えがあった。避難所に置かれた鉢植えに、避難民が水をあげていた。
自然の前で人は無力だ。しかし打ちひしがれた心を救ってくれるのも、また自然なのだ。人がつくったものではない。
東北にもまもなく春がくる。
被災地にももうじき桜の花が咲く。
Posted by 下川裕治 at 14:00│Comments(2)
この記事へのコメント
私は兵庫県の被災地出身です。何より有り難かったのは、生きる励みになるような言葉、音楽、そしてやはり下川さんがおっしゃるように、自然でした。各地や各国のボランティアの方々の姿を見るだけで、「見捨てられてないんだ」と、勇気と感謝でいっぱいになりました。今度は恩返しする番です。
Posted by としこちゃん at 2011年03月14日 14:28
日本をかつてないほどの地震がおそった。テレビをつけると阿鼻叫喚の世界がそこにあった。そしてますます事態が悪くなる原発。海辺の何千という遺体。打ちひしがれている。私は東北に住んでいるわけでわない。埼玉県に住んでいる。被災して、家を失い、家族をなくしたわけではない。しかし、ひそかにまいってしまった。そんなようではだめだと言う人がいるとおもうが、気持ちが落ち込んでいるいることはしょうがない。
外国からの援助、有名人からのエール。きっと、将来何らかのかたちで復興するだろうという期待。しかし希望の裏にある自然に対する無力感を私は決してわすれない。前向きにならないといけないとわかっていながら、しばらくこの無力感の前にひれ伏している。
外国からの援助、有名人からのエール。きっと、将来何らかのかたちで復興するだろうという期待。しかし希望の裏にある自然に対する無力感を私は決してわすれない。前向きにならないといけないとわかっていながら、しばらくこの無力感の前にひれ伏している。
Posted by akya at 2011年03月14日 20:50
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。