2011年10月03日
情報が少なすぎる情報社会
源氏物語絵巻の現状模写展にでかけた。東京芸大の日本画研究室の労作である。
源氏物語絵巻は、平安末期に描かれたといわれる。もちろん国宝である。
会場では、現状模写というものにかかわった学生たちが、その方法を説明してくれた。
現状模写とは、その絵巻の絵をできるだけ忠実に復元していくことなのだが、なにしろ、もとの作品は国宝である。傍らに置いて模写するようなことはできない。写真をもとに復元を進めるのだが、その途中、30分だけ本物を目にすることができる。そのときの学生たちの話が興味深かった。
「写真では情報量が少なすぎる」
そういうことなのだ。
写真といっても、僕らがデジカメで撮るようなものとはレベルが違う。しかしそれでも、色の質感、文字のかすれ具合など、模写するためには、情報が少なすぎるのだという。やはり自分の目で、本物を見ないと、その部分は確認できない。
その30分の閲覧のために、想定できるさまざまな色を用意し、本物の色と合わせていく。金箔はどのように貼られているのか凝視する。その情報がなければ、模写などとてもできないのだという。それでも、本物にはとてもかなわないというのだが。
世のなかには情報が溢れている。インターネットで、人は膨大な情報を得ることができるようになった。しかし、そこに流れている情報というものは、本物を前にすると、あまりに薄っぺらなものに映る。
僕がかかわる印刷物の世界も同様である。本や雑誌に印刷される写真の色ひとつとっても本物とは違う。しばらく前まで、なんとか本物の色に近づけようと、色校正というものをやっていた。しかしいまは、印刷代を安くするために、それすら省かれるようになった。ますます本物がもつ質感は、人の目に届かなくなってきている。
本物……という視点でみれば、僕らが受けとる情報は、年を追って薄っぺらなものになってきている。それがなければ、これほどの情報が氾濫しなかったとみることもできる。誤解を恐れずにいえば、本物からどんどん遠くなってきたものを情報と呼ぶのかもしれない。
薄々わかっているのだろう。だからCDやユーチューブがこれだけ氾濫しても、人はライブに足を運ぶ。ネットで簡単に情報が得ることができるようになるほど、「生」のものや「本物」への渇望が生まれてくるものらしい。
僕がかかわる本の世界もそうなのかもしれない。文字は情報だが、そこに流れる息づかいが伝わらなくてはいけないのだろう。
毎日、毎日、ゲラを見ている。10月末から11月にかけて出版される本のチェックである。窓を開けると、金木犀の香りが鼻腔に届く。そう、匂うような原稿──。そんなことをいっていた作家がいた。
源氏物語絵巻は、平安末期に描かれたといわれる。もちろん国宝である。
会場では、現状模写というものにかかわった学生たちが、その方法を説明してくれた。
現状模写とは、その絵巻の絵をできるだけ忠実に復元していくことなのだが、なにしろ、もとの作品は国宝である。傍らに置いて模写するようなことはできない。写真をもとに復元を進めるのだが、その途中、30分だけ本物を目にすることができる。そのときの学生たちの話が興味深かった。
「写真では情報量が少なすぎる」
そういうことなのだ。
写真といっても、僕らがデジカメで撮るようなものとはレベルが違う。しかしそれでも、色の質感、文字のかすれ具合など、模写するためには、情報が少なすぎるのだという。やはり自分の目で、本物を見ないと、その部分は確認できない。
その30分の閲覧のために、想定できるさまざまな色を用意し、本物の色と合わせていく。金箔はどのように貼られているのか凝視する。その情報がなければ、模写などとてもできないのだという。それでも、本物にはとてもかなわないというのだが。
世のなかには情報が溢れている。インターネットで、人は膨大な情報を得ることができるようになった。しかし、そこに流れている情報というものは、本物を前にすると、あまりに薄っぺらなものに映る。
僕がかかわる印刷物の世界も同様である。本や雑誌に印刷される写真の色ひとつとっても本物とは違う。しばらく前まで、なんとか本物の色に近づけようと、色校正というものをやっていた。しかしいまは、印刷代を安くするために、それすら省かれるようになった。ますます本物がもつ質感は、人の目に届かなくなってきている。
本物……という視点でみれば、僕らが受けとる情報は、年を追って薄っぺらなものになってきている。それがなければ、これほどの情報が氾濫しなかったとみることもできる。誤解を恐れずにいえば、本物からどんどん遠くなってきたものを情報と呼ぶのかもしれない。
薄々わかっているのだろう。だからCDやユーチューブがこれだけ氾濫しても、人はライブに足を運ぶ。ネットで簡単に情報が得ることができるようになるほど、「生」のものや「本物」への渇望が生まれてくるものらしい。
僕がかかわる本の世界もそうなのかもしれない。文字は情報だが、そこに流れる息づかいが伝わらなくてはいけないのだろう。
毎日、毎日、ゲラを見ている。10月末から11月にかけて出版される本のチェックである。窓を開けると、金木犀の香りが鼻腔に届く。そう、匂うような原稿──。そんなことをいっていた作家がいた。
Posted by 下川裕治 at 11:12│Comments(1)
この記事へのコメント
本業域の話題だったので少しだけ。
インターネットの情報は、信じてはいけない。
「参考までに…」が一番いい付き合い方です。
プーケットの青い空と海をインターネットで閲覧し、
それを信じて現地へ。
…が、実際は。
仮想空間と現実世界を分けなければならないのです。
WikiPediaで勉強しました!というアホも時々いますが、
アレも「参考までに…」なんです。
続きは金曜6時以降にでも… こ
インターネットの情報は、信じてはいけない。
「参考までに…」が一番いい付き合い方です。
プーケットの青い空と海をインターネットで閲覧し、
それを信じて現地へ。
…が、実際は。
仮想空間と現実世界を分けなければならないのです。
WikiPediaで勉強しました!というアホも時々いますが、
アレも「参考までに…」なんです。
続きは金曜6時以降にでも… こ
Posted by とも。 at 2011年10月05日 16:47
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