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ナムジャイブログ

2011年11月28日

失うものが多い暮らし

 豊かになること……それは天災に弱さを露呈することなのだろうか。タイの洪水の渦中でそんなことを考えていた。
 タイの暮らしには、もともと洪水が織り込まれていた。高床式の家がその最たるもの。水が入っても、通常の暮らしができた。家には小舟もあった。洪水になっても、舟に乗ってでかければよかった。かつて、タイの水田で栽培されていたのは浮稲だった。この稲は、増水に合わせて茎が伸び、穂先は常に水から顔を出す種類だった。
 10年ほど前だっただろうか。バンコク市内でタイ人の知人に会った。彼の家はバンコクの北部にあり、そのとき床上浸水状態だった。
「もう1ヵ月も水のなかですよ」
 しかし彼の表情は涼しげだった。頼もしいタイ人の姿がそこにあった。
 しかし今回の洪水でタイ人は動揺した。政府も浮き足立っていた気がする。それほど北から押し寄せてくる水塊の量が多かったと見る向きもある。が、やはりバンコクの都市化が進み、人々の生活様式が変わってしまったことが背後に横たわっている気がする。
 水田に植えられる稲は、とうの昔に収穫量の多い普通の稲になった。いまのバンコクでは、高床式の家など探す方が大変だ。1階には冷蔵庫やテレビなどの電気製品が置かれている。それらが水に浸かってしまうと損害は大きい。
 そして車である。高速道路の路肩や市内の駐車場に避難した車は相当な数である。ある日本人がこんなことをいっていた。
「シーロム通りの駐車場に置かれている車、かなりの高級車があるんですよ。あんな車にタイ人は乗っていたんですね」
 高価な車をもっている人ほど、水没は避けたいと考えてしまう。
 豊かになること──。それは失うと不便になってしまうものに囲まれて暮らすことだ。そんな生活に警鐘は聞こえるが、人間は一度手に入れた豊かさを手放そうとはしない。後戻りはできないのだ。豊かな暮らしを維持しながら、昔の質素な生き方をとり入れる……という折衷案に落ち着くことになる。
 しかし天災というものは、そんな人間をせせら嗤うかのように、私たちの生活を襲う。
 日本や日本人の反応は、タイ人の上をいく動揺ぶりだった。外務省は10月下旬、レベル3の「渡航の延期をお勧めします」という危険情報を出した。バンコクの日本人学校も10月20日から休校。生徒の約8割が日本に避難したという。社員を帰国させた日系企業も多い。
 結局、バンコク市街地に水は入らずに、今年の洪水は収束しそうだ。
「いまになって思えば、過剰反応」
 とある日本人。日本人はタイ人以上に、失っては困るものを多くもっているということなのだろうか。


Posted by 下川裕治 at 17:03│Comments(0)
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