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ナムジャイブログ

2012年04月17日

駅弁というブランド

 篠突く雨が降っている。那覇にいる。
 移動の日々が続くと、つい、弁当を食べることが多くなる。
 昨日の昼は、名護で弁当を食べた。
 沖縄の弁当は安い。昨日買ったそれは、ボリュームたっぷりで300円だった。沖縄の弁当にはもうひとつ特徴がある。ご飯の上から、ゴーヤーチャンプルーなどの炒め物を載せることだ。炒め汁は当然、ご飯に染みこんでいく。
「そこがおいしいさー」
 沖縄の人はそういうが、本土からやってきた人のなかには、顔をしかめる人もいる。
「ご飯は白いままで食べる。おかずは別です。こんなにご飯を汚してしまって」
 白飯至上主義というのだろうか。
 先週は北海道にいた。駅弁を何回か食べた。同行したカメラマンに訊いてみた。彼は鉄道ファンでなにかと詳しいのだ。
「どうして駅弁って、こんなに高いの? コンビニには500円を切るような弁当がいっぱい並んでいるというのに、駅弁は1000円以上。これも1050円」
「そりゃ、下川さん、JRがとっているから。駅弁ってひとつのブランドなんです」
 小樽駅で買った北海手網という駅弁を見つめてしまった。
 最近、こういうことが気になる。ほかの雑誌のエッセイにも書いたが、日本の定価主義というものの本質が気になるのだ。
 先日、あるパッケージツアー会社の方から、こんな話を聞いた。
「ツアー後のアンケートで、いちばん多いには、現地でぼられたという苦情です。たいした額ではないんですが」
 たとえばバンコクのバスターミナルの売店。そこで買った水が、市内で買う水より5バーツ高かったとする。そういうとき、日本人はぼられたという。しかしバスターミナルの店は、テナント料を払っている。それを水代に乗せている可能性が高い。
 そんな日本人は、日本の列車に乗り、駅弁を買っても、「ぼられた」とはいわない。JRが駅弁というブランド代をとっていることを知らない人も多い。
 日本のほうが狡猾ではないか。そう思うことがある。アジアでは、そういう料金を個人の物売りが、客と向き合って回収していく。しかし日本は、システムとして組み込み、定価というものを設定してしまうのだ。
 たしかに定価主義のほうが、買い物はスムーズかもしれない。しかしその背後で動いている金は見えにくくなってしまう。
 アジアには法外にぼる人もいるが、正直にぼる人のほうが多い。そのあたりを客に説明できないから、買った日本人は、「ぼられた」と苦情を口にするのだ。
 それが日本とアジアの溝なのだろうか。


Posted by 下川裕治 at 10:00│Comments(1)
この記事へのコメント
日本のほうが狡猾…。

納得できる気がします。
Posted by しの at 2012年04月20日 06:26
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