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ナムジャイブログ

2012年04月23日

「男だから……」という言葉の古風な響き

「僕は男だから」
 最近、この言葉を遣うことが、ときどき、ある。女性から相談を受けたとき、つい、口にしてしまうのだ。意味のないことだと知りつつも。
 先週、沖縄にいた。原発の放射能から子どもを連れて避難した奥さんだった。ご主人は東京で働いている。
 避難から10ヵ月ほどがたち、小学生の子どもの教育で悩みはじめた。沖縄の小学校の学力の低さが気になっている。
「いまは3年生だから、それほどないんですけど、高学年になると……」
 タイのバンコクでも同じような相談を受けた。やはり放射能が怖く、幼い子どもを連れて、バンコクに移り住んだ。はじめは快適だったが、しだいにバンコクという街の欠点が気になってくる。バンコクには、日本ならどこにもある児童公園がない。戸外で思いっきり遊ばせることができない。やはりご主人は日本で働いている。
 放射能が怖いことはよくわかる。子どもが小さければなおさらだろう。しかし、天秤にかけてほしいのは、放射能への心配と、父親のいない家庭という問題である。
 彼女らの話のなかでは、父親の存在感が薄い。僕も海外に出ることが多いから、反論する筋合いではないかもしれないが、どうしても父親を擁護してしまう。
「僕は男だから……」という前置きの先に、「家庭のなかの父親の存在をもっと評価してほしい」という思いを滲ませてしまう。
 アジアを訪ねた若い女性から、こんな話も聞く。
「イケメンで清潔感があって、ステキって思う男性って、よく訊くと、だいたいゲイなんです。普通の男って、ぜんぜん、カッコよくない」
 ゲイはファッションに気を遣う人が多い。肌も手入れされ、日にも焼けていない。彼らの美意識のなかで、おしゃれは重要な位置を占める。
 しかし普通の男は、服装にも無頓着でシャワーの浴び方もおざなりだったりする。いつも同じようなものを着ていたり……と、おしゃれに関心すらない男もいる。
 そこでまた、「僕は男だから……」という言葉を口にしてしまう。男の魅力とは、おしゃれと無縁とはいわないが、別の価値観のなかで生きていく男が発散していくものだと思うのだ。
 東南アジアには、もともと頼りにならないのが男が多い。しかし日本では、男が背負うものが大きく、しっかりしなければいけない社会だった。そのたががゆるみはじめたのだろう。そのなかで普通の男の存在価値が、しだいに薄くなっているということだろうか。「男だから……」という言葉は、妙に古風に響いてしまうのである。


Posted by 下川裕治 at 12:43│Comments(3)
この記事へのコメント
ジミー金村氏は元気ですか
Posted by 清水 at 2012年04月25日 03:31
下川さんの本は殆ど読んでいます。今、世界最悪の鉄道旅行を読んでいる最中です。さて私はミャンマーの現在の情勢が気になって仕方がありません。果たして改革は本物なのか、ベトナムのように開かれてゆくのか。下川さんもさんざんひどい目にあった彼の国の情勢についての見解をお聞きしたいです。
Posted by オサーン at 2012年04月30日 03:23
下川さんこんばんは。バンコクで放射能避難(母子のみ)している者です。しばらく前の記事へのコメントになってしまうのですが、「(放射能避難(母子避難)している)彼女らのなかでは父親の存在感が薄い」と書かれていますが、「薄い」のではないと思います。少なくとも我が家の場合は、父親と住むことを強く望んでいますが、子供の健康を守ることと天秤にかけ、ぐらぐらと揺れ動く天秤の下、子供の健康を優先させているといった感じです。苦渋の決断といった感じで・・・。
勿論主人も一緒に避難できればいちばんいいと思いましたが、家族全員で避難(あるいは移住)したことにより収入が全く絶たれてしまうのは避けたく、結果、一時的にまずは母子のみ避難しています。私たち母子がこうして避難できているのは、主人が日本でいまも仕事をしてくれているおかげです。そのことに感謝も勿論しています。私のことを神経質過ぎるのではないか?と言いながらも、主人が避難を認めてくれていることもほんとうに有難いことだと思っています。
早く家族全員が揃って安心して外を散歩したり、木の実を拾ったり、泥んこ遊びができるような場所に住みたいと願い続けています。でも、現実問題、ずっと日本で暮らしてきた人間に、いきなり外国で仕事を探せというのはとても酷なことだということもわかります。しかも、自分一人なんとか食べていければいいという程度の稼ぎではなく、家族を養っていけるだけの稼ぎをコンスタントに生み出せる仕事に就くこと、、、結婚して以来仕事をしていない私でも、その難しさは想像できます。
こちらへ来てから、在住の日本の方の何人かには原発事故を受けての避難である旨打ち明けましたが、人によっては「自分だけ逃げて、残された旦那さんが可哀想ね」というニュアンスのことを仰る方もいました。義母にも同様のことを言われています。父親不在での育児が子供に与える影響も勿論気になっています。それでも、原発事故により身体にどういう影響が出るか未知数な状況の中、子供を命の危険にさらし続けるぐらいなら、数年間父親が居なくてもそっちのほうがマシと割り切って考えることにしました(が、なかなかそうスッパリときっぱりと割り切れるものではないのですが)。放射能に対する自分の価値観を押し付けて主人にも子供にも、生活上の不安や不便など多くの犠牲を強いているとの自責の念で日々いっぱいです。
今は放射能避難のことを揶揄するいろんな人の言葉に反論する力もありません。といいますか、多分反論したところで、私の求めているような方向へは向かっていかないのだろうと感じています。放射能避難したことについて義母やいまの住まいのご近所さんへ言いたいことも無くはないのですが、放射能問題は、どこから情報を得るか?で考え方、問題の深刻さの度合いが変わってくるのだろうなと感じていますし、人の考え方を変えるのは容易なことではありません。私の中での目的は彼らとたたかうことではなく、子供を放射能から守ること、それに尽きます。
今は叩かれても叩かれても、背中を丸めてじっとうずくまるダンゴムシ(?)のような気持ちです。とにかく、余計なことで疲弊するのは避けて、目的を達成させたいという気持ちのみです。
でも下川さんのおっしゃることも、もう少し、自分の胸に手を当てて考えてみようと思います。「父親の存在感が薄い」と感じさせるのは、母子避難して以来ずっと父親(夫)不在の寂しさおよび小さい子供を伴っての慣れない海外生活の不安があるので、夫の話をすると夫を思い出して切なく、またこわくもなり、加えて、自分の根無し草的な心許無い状況があらわになってしまい自分でそれを再認識するのが怖いので、父親の話を友人知人には敢えてしないように心掛けている、というのはあります。男性にはなかなかわかりにくい心情でしょうか、ね?
自分の放射能避難友達には、家族全員で移住というのと原発事故前からもともと母子家庭で母子避難というパターンしかいないので、他の私と同じパターンの方々と比較出来ないのが申し訳ないですが、ツイッターでの母子避難者のコメントを見ると、やむいやまれず母子避難、早く家族全員で一緒に暮らしたい、と願っているご家庭(お母さん)が多いようです。
下川さんの「僕は男だから」には、もしかしたら彼女たちへのいいわけ(もっと相応しい
言葉がある気がしますが・・・なんだか下川さんに対して失礼な言い方になってしまい、すみません)、と言いますか、「(あなたたちの気持ちを)じゅうぶんわかった上でのアドバイスではないかも知れないけど、ゆるしてね」あるいは「これはあくまで自分の考えだから、私の言ったことをあまり深刻に受け止め過ぎたりしないで、適当に聞き流してね」と言ったニュアンスが込められているのでは?と思いました。色々と勝手を申してしまいましたが、どうかゆるして下さい。「私は女ですから」・・・^_^;。
Posted by hanaco at 2012年06月13日 01:32
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