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ナムジャイブログ

2012年05月28日

作家のピークは1度だけ

 ひとりの編集者の死を知らされた。すでに昨年の11月に他界し、葬儀は身内だけで行われたという。
 本人の意思にもよるのだろが、最近、葬儀は家族や近い親族だけというケースが少なくない。「忍ぶ会」などがその後に開かれなければ、噂が届くまで、その死は知らされないことになる。
 彼らしい選択だったのかもしれない。
 知りあったのは学生時代だった。そのとき彼は、すでに出版社に勤務していた。新宿御苑前の一軒の店に連れていってくれたのも彼だった。店の主人は大韓航空の墜落事故の犠牲になってしまったが、それまで本当によくこの店に通った。生まれてはじめて、常連といわれるようになったのもこの店だった。
 それから15年ほどの月日が流れた。僕は幸運なことに、何冊かの本を書いていた。突然、彼から連絡が入った。本の依頼だった。断れない依頼だった。
 僕は原稿を書き、それがゲラになった。ゲラに朱を入れて戻すと、それを読んだ彼から電話がかかってきた。
「おまえもうまくなったな」
 彼は電話口でそういった。原稿を読んだとき、なにひとつ反応はなかったが、僕の原稿の直しを彼は評価した。嬉しかったが、その言葉に戸惑いもした。
 それから数日後の夜のことだった。彼からまた電話がかかってきた。背後でカラオケが聞こえた。誰か作家と酒を飲んでいるようだった。
「下川、タイトル決めたぞ。『アジアの風に身をまさせ』だ。テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』を歌いながら、思いついたんだ。いいだろ」
 こうして『アジアの風に身をまかせ』という本が生まれた。その本は増刷になり、もう1冊、書かせてもらった。
 いつも不安のなかでものを書いている。面白いのかどうかもわからない。暗中模索の作業が続く。そんなとき、相談相手になってくれたのが彼だった。年上で、何人もの作家を世に出した編集者の言葉は、辛辣だった。お世辞を口にする編集者ではなかった。
 一度、こんなことを訊いたことがある。
「もの書きにピークって2度あるんでしょうか。ある作品がすごく売れて、それがピークだとしたら」
「ないね。作家のピークは1度だけ」
 彼がそういったのは、そう、阿佐ヶ谷の焼鳥屋だっただろうか。いつも互いに痛飲し、なにがなんだかわからなくなって帰宅するのが常だった。
 潔い編集者だった。いまにして思えば、それが彼の美意識だった気もする。彼は育てた作家の誰ひとり、自分の死を伝えようとしなかった。そういう編集者だった。


Posted by 下川裕治 at 15:47│Comments(1)
この記事へのコメント
初めまして、偶然このブログを発見しました。実は私も某社の編集部時代に時々利用していたお店なのですが、お店の名前をどうしてもおもいだせません。確か後に新宿の寄席の近くに移転したというところまでは憶えているのですが、記憶が途切れております。冷凍庫で冷やしたウォッカとか、醤油につけたあたりめとか、飲み食いしたものは憶えているのですが。店主はたしか大坂さんといったような。よ呂しければお店の名前だけでも教えていただければ幸いです。
Posted by 竹ノ内和久 at 2013年08月22日 05:15
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