2012年10月22日
精一杯、背伸びをしていた時代
信州にある母校の高校を訪ねた。松本深志高校という。久しぶりである。
高校に図書館ゼミというものがあり、そこで生徒の前で話をした。
僕がこの高校に通っていたときの校舎は、ほとんど建て替えられていた。だが、第一棟という、入って正面にある校舎は、登録有形文化財に指定され、そのままで残っていた。そこに入ってみた。木製の床。そこに塗られた油の匂いに、40年も前の記憶が一気に蘇ってくる。
いや、記憶は曖昧である。浮かんでくるのは断片ばかりで、そこに脈絡がない。あの頃、いったいなにを考えていたのだろうか……。鼻腔を刺激するなにかがあるのだが、それがなかなか実像にならない。
ユニークな高校だった。授業は1時限が65分で、単位制だった。旧制松本中学の気風が残り、応援団は黒いマントに下駄を履き、ほら貝を吹くというスタイルだった。
教師も変わっていた。僕は世界史を専攻したが、2年間でギリシャ・ローマ時代までしか進まなかった。後は独学で大学を受験した。「世界史の論理のすべては、ギリシャ・ローマ時代を学べばわかる」というのが教師の持論だった記憶がある。当時の文部省の方針など、まったく無視していた。
しかし時代の流れのなかで、この高校も変わってきていた。しかし修学旅行がないという伝統はそのままだった。高校時代、僕はこう聞かされていた。
「戦後、しばらくして、政府の方針で修学旅行が実施された。しかしこの高校の生徒は勝手な奴が多く、旅行には出たものの、予定通りに帰ってきたのは半分。これはまずい、と廃止することになった」
しかしいまの高校では、こういう話になっていた。まだ食糧難の時代に、自分たちだけ旅行をするのは忍びない……だから修学旅行はやめよう……と。
どちらが本当なのかはわからない。しかしそのぐらいの変化は起きたらしい。
「そう、下校時刻が決まったんです。それも昔と違うかもしれません」
僕らが通っていた時代は、下校時刻というものがなかったらしい。そういえば、コンパと称して、深夜まで学校に残っていたことは何回もあった。下校時刻など考えもしなかった。
自由な校風だった。ものごとは自分で考えて行動しろ、という気風だった。開放感には蠱惑の匂いすらしたが、やはりちょっと怖かった記憶もある。そのなかで、精一杯、背伸びをしていた気がする。
いまの学生はおとなしい。素直で、堅実である。つまりは無理な背伸びはしないということなのだろうか。それはいまの日本の姿なのかもしれない。
11/10(sat)に「なぜ人は旅をするのか?」というトークイベントが行われます。僕が吉田友和と話をするイベントです。
「週末海外」ブームの火付け役として知られる吉田友和さん。「自分を探さない旅」(平凡社)を発売。僕は「週末アジアでちょっと幸せ」(朝日新聞出版社)を発売。その記念のイベントです。
予約制で、すぐにいっぱいになってしまいましたが、BOOK246店内にはふたりの本が集まります。もしほしい本があればこの機会に。
高校に図書館ゼミというものがあり、そこで生徒の前で話をした。
僕がこの高校に通っていたときの校舎は、ほとんど建て替えられていた。だが、第一棟という、入って正面にある校舎は、登録有形文化財に指定され、そのままで残っていた。そこに入ってみた。木製の床。そこに塗られた油の匂いに、40年も前の記憶が一気に蘇ってくる。
いや、記憶は曖昧である。浮かんでくるのは断片ばかりで、そこに脈絡がない。あの頃、いったいなにを考えていたのだろうか……。鼻腔を刺激するなにかがあるのだが、それがなかなか実像にならない。
ユニークな高校だった。授業は1時限が65分で、単位制だった。旧制松本中学の気風が残り、応援団は黒いマントに下駄を履き、ほら貝を吹くというスタイルだった。
教師も変わっていた。僕は世界史を専攻したが、2年間でギリシャ・ローマ時代までしか進まなかった。後は独学で大学を受験した。「世界史の論理のすべては、ギリシャ・ローマ時代を学べばわかる」というのが教師の持論だった記憶がある。当時の文部省の方針など、まったく無視していた。
しかし時代の流れのなかで、この高校も変わってきていた。しかし修学旅行がないという伝統はそのままだった。高校時代、僕はこう聞かされていた。
「戦後、しばらくして、政府の方針で修学旅行が実施された。しかしこの高校の生徒は勝手な奴が多く、旅行には出たものの、予定通りに帰ってきたのは半分。これはまずい、と廃止することになった」
しかしいまの高校では、こういう話になっていた。まだ食糧難の時代に、自分たちだけ旅行をするのは忍びない……だから修学旅行はやめよう……と。
どちらが本当なのかはわからない。しかしそのぐらいの変化は起きたらしい。
「そう、下校時刻が決まったんです。それも昔と違うかもしれません」
僕らが通っていた時代は、下校時刻というものがなかったらしい。そういえば、コンパと称して、深夜まで学校に残っていたことは何回もあった。下校時刻など考えもしなかった。
自由な校風だった。ものごとは自分で考えて行動しろ、という気風だった。開放感には蠱惑の匂いすらしたが、やはりちょっと怖かった記憶もある。そのなかで、精一杯、背伸びをしていた気がする。
いまの学生はおとなしい。素直で、堅実である。つまりは無理な背伸びはしないということなのだろうか。それはいまの日本の姿なのかもしれない。
下川裕治からのお知らせ
11/10(sat)に「なぜ人は旅をするのか?」というトークイベントが行われます。僕が吉田友和と話をするイベントです。
「週末海外」ブームの火付け役として知られる吉田友和さん。「自分を探さない旅」(平凡社)を発売。僕は「週末アジアでちょっと幸せ」(朝日新聞出版社)を発売。その記念のイベントです。
予約制で、すぐにいっぱいになってしまいましたが、BOOK246店内にはふたりの本が集まります。もしほしい本があればこの機会に。
Posted by 下川裕治 at 12:42│Comments(0)
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